月夜にヒトリゴト
夜桜
今でもはっきり覚えている。

今年の春は、桜の訪れも早く、”夜桜デート”は、もう諦めていた私だった。
それでも、彼は、必死に桜の開花状況を調べてきたらしく、第三候補まで決めていた。
真っ暗闇の中、山奥のダムに連れて行かれ、”枝垂桜”を見せてくれるという。
クネクネ道を通り抜け、行き着く先は静まり返ったダム。
勿論、誰いない・・・
はっきり言って、外に出るのも怖い。
「枝垂桜ってどこにある?」必死な彼を見てると、そんなこと言えなかった。
仕方なく「UFOでも出そうね」「こんなとこでさらわれたくないよな~」なんて、くだらない話をしながら、全く見えないダムの”底”を見下ろした。
4月とはいえ、寒い夜だった。

「よし!次に行ってみよう~」と向かった先も、またまた違うダムだった。
「実はダムめぐりなのか?」と思わずにはいられない。

でも、ミッションの車だというのに、信号待ちの度に、手をつないでくれる彼が、微笑ましくてしょうがない。

そう・・・
まぎれもなく、私は、恋をしていた。
もう、40歳を手前にしてる男と女なのに・・・
気持ちは、恋をしていたであろう10代の頃のままだった。

20年のときを経て、初めて手をつないだ私たちは、加速をつけて恋に落ちた。
それが、最後の夜になるとも知らずに・・・

彼の必死さが実を結んだのか、諦めた時に、一本の桜を見つけた。
なんでもない住宅街の公園の、灯りの下にぽっかりと浮かぶ夜桜は、満開とはいえなかったが、時折吹きつけるやわらかい風に、ヒラヒラ散っていて、とても綺麗だった。

見上げると、満月が浮かんでいた。
まん丸のお月さまが、桜の枝枝の隙間から、チラチラ見える。
ピンク色の花びらを、あたたかく照らしている。

そう、たったそれだけの光景を、忘れることはない。
こうなってしまった今でも、一生、心に焼き付けて生きていくだろうと思う。


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