AEVE ENDING






深い海の底を見てみたいと思った。

高く抜ける空ばかり見ていた己は、すぐ近くに存在した美しさというものを知らずにいたのだ。

磔けた真白のピースは空に染まるだろうか、或いは海に融けるだろうか。










「―――橘倫子の処罰を問わず、彼女を野放しにする気かね?」

薄暗い部屋だった。
小さな間接照明だけが頼りの、奥に細長い部屋の湿度はいつ来ても気味が悪いほど高かった。

雲雀が目の前に座る男と対峙するのは、もうかれこれ五回以上を数える。
一番最初にこの部屋に通されたのは、「修羅」の称号を与えられた時だった。


男に、名はなかった。

全世界のアダムを統べる巨大な塔に、名など必要ない。



「…それは君の同情心からくる結果なのか、或いは」

正当性を求めるなどらしくない。
下らないお喋りの為に、傷心の倫子をひとり残してきたのではない。


「―――橘に非はないからね。当然の処置だと思うけど」

暗闇に隠れた顔の見えない男がくつりと嗤った。
桐生すらも赤ん坊扱いするこの男を前に、戦慄など今更。


「非はない、か」

頬杖をつきながらこちらを窺う様は嫌味でもなんでもなく、真意を見極めようとするもの。

―――否、真意など最初から承知なのだろうが。



「ここにある資料によると、橘倫子は前触れもなく外交官夫婦に拳を上げ、重体の身に陥れた。大切な交流セクションの場で、あろうことか合衆国の代表と揉め…、極めつけは独房での政治家ひとりの殺害未遂―――。非は、あまるほどあるように思えるが」
「最期のソレ、僕」
「…なるほど」

いけしゃあしゃあと答えれば、くつり、再び笑み。


「詳しく聞こうか」

そう言ったところでもう予想はついているのだろう。

この男に不平や誤差、誤解、過ちなど通じない。



「先ずはじめの項目について、一番最初に手を出したのは外交官のほうで、彼は橘の劣等感を利用して精神的危害を加えた―――自業自得だ。彼の妻に関してもまた然り。過去の彼らの行いを考えれば橘の暴走は目に見えている。それを承知で橘に接触した外交官側に多大な非がある」

まあ、情がないとは言い難い言い訳に過ぎないけど。

けれど事実だ。

この男に倫子の無罪を認めさせなければ、彼女は即刻牢獄行き。

死ぬまで閉じ込められて終わる。




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