恋時雨~恋、ときどき、涙~
あんな暗雲立ち込める場所へ行っても、幸の居場所はひとつもない。


ひとり、孤独になるだけだ。


だって、幸の居場所はちゃんとここにある。


〈あんな寂しいところに〉


わたしは窓ガラス越しに、暗い夜空を指差した。


〈幸を、行かせたくない〉


そして、ナイフをぎゅうっと握り締めて震える幸の両手を、そっと掴んだ。


「真央」


一気に、幸の目から濁流のような涙が溢れた。


わたしは、幸の手を離さなかった。


わたしは唇をゆっくり、大きく、一文字一文字動かした。


さ、ち。


い、き、て。


ま、け、な、い、で。


い、


き、


て。


「生きて……?」


幸の質問に、わたしは頷いた。


生きて、幸。


幸の手の力が緩み、果物ナイフがカーペットに転がった。


窓ガラスを伝ってへたりと崩れ落ちる幸を、わたしは受け止めながら抱き締めた。


儚いと思った。


わたしの腕の中で震えながら泣く幸は、思った以上に痩せ細っていた。


儚い。


すくってもすくっても、指の隙間からこぼれていく砂のように、泣く幸は儚かった。


儚くて、そして、尊かった。


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