恋時雨~恋、ときどき、涙~
お母さんは乳がんの手術を受けたあとも、元気にしている。


通院をして定期的に検査をしているけれど、今の所再発はなく、生き生きと毎日を過ごしている。


「お母さんね、このお花が好きなの。ほら、前に住んでいた家のお庭にも咲いていたでしょう」


ベランダに出て来たお母さんがプランターの前にしゃがみ、人差し指でつんと突いた。


恥ずかしそうにはにかむ人間のように、純白の花が揺れる。


お母さんの隣にしゃがみ、聞いてみた。


〈どうして、この花が好きなの?〉


「どうしてかって? 知りたいの?」


わたしが頷くと、お母さんはくすぐったそうに笑って、


「実はね」


と今度は嬉しそうに話し始めた。


「真央が産まれてすぐに、この子は耳が聞こえないって分かってね。お母さん、あなたに申し訳なくてね」


レインリリーが左右に揺れる。


「五体満足に産んであげられなくてごめんね、って、毎日、泣いてばかりいたの」


お母さんが肩をすくめて、純白色の花を見つめた。


「真央に、申し訳なくて。毎日、苦しかった」


そんな日々が続いていた、ある日の事だったらしい。


それは、うららかな春の休日で。


悲しみに暮れてばかりのお母さんが庭を覗くと、そこにはせっせと何かを植えているお父さんの背中があったそうだ。


そこで、お母さんは話しかけた。


『あなた。何してるの?』


振り向いたお父さんは頬に土を付けた顔で、にっこり笑った。


『ちょっとね。こっちにおいで』


呼ばれたお母さんは、しぶしぶ、庭に出た。


『何か植えたの? お花?』


お母さんが聞くと、お父さんは額に滲む汗をぬぐいながら笑って答えた。


『ああ。雨が降った後、この庭は花でいっぱいになるぞ』


その時、お母さんは思ったらしい。
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