キミは聞こえる
 汲んできたのは佳乃だというのに、一番に利用するべきだろう彼女を輪の外に追いやって我先にとバケツに群がる雑巾隊。
 ようやく順番が回って、すっかり汚くなった水の中に佳乃は慣れたように手を入れる。

 ……つくづく不憫な子だな、と思う。

 手すりにもたれかかってふぅと息を吐く。

 理那のように、正しい人間が他人の面子のために迫害される現実。
 佳乃のように、これという害のない普通の人間がこれという理由もなく後ろ指を指される現実。

 わからない……。

 世の中なんて、面倒くさいことばかり。

 特に、学校なんて、その典型だ。そう感じる。

「ため息つくと、その分だけ幸せが逃げるんだぜ」

 またこいつか、と思った。雑巾を持った桐野が話しかけてきた。

「ただの呼吸」
「さよざんすか」

 桐野を見上げもうひとつ息を吐いて力なく首を振る。

 元通りになったらしい桐野は、本来の明るさを取り戻して、やっぱりどこからともなく現れる。賑やかな彼は、見てる分にはいいけれど、自分に向けられるとうるさくてならない。

「なんだよ今の」
「―――あのさ」
「ん?」
「桐野君はさ―――あ」
「なに」

 廊下を、小野寺少年が通り過ぎた。つい佳乃に目を向けてしまう。床を磨いていた佳乃は気がつかなかったようだ。
 ゴミ捨てに行っていたらしく、小野寺はゴミ箱を手に、あっという間に見えなくなった。

「小野寺がどうかしたか?」
「ううん、ちがう」
「じゃあなんだよ」

 うーんと短く考え、泉は首を振った。

「まぁ、いいや」
「いやいや、言いかけてやめられるとこっちが気になるんだけど」
「今は、いい」
「ふーん。じゃ、また今度な」
「気が向いたら」
「えっ、お、おい」
 
 桐野を置いて、傍の机に箒を乗せると机を移動する。
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