キミは聞こえる
『はじめのうちは私だってちゃんと辛かったし、悲しかったし、寂しかったのに、それがどうしてだろう…いつの間にかどうでもよくなってた』

 代谷が東京にいた頃―――生みの母を失ってからの数年間、彼女はいったいどんな毎日を過ごしていたのか。

 他の何者にも代えられない母という存在が死んだにも関わらず、彼女は底知れぬ悲しみをどうでもいいと放り捨てた。

 よっぽどのことであろう。

 そのときその瞬間、彼女の心を巣くっていただろう闇はどれだけ深く暗いものだったのだろうか。

 気づく気配のない代谷から視線を外して、残りの支度を手早く調えると、桐野は教室を出た。

 ちょうど隣のクラスから小野寺他サッカー部の面々がぞろぞろと出てきたので小走りで追い着く―――着いた瞬間、桐野は、あれ? と僅かに眉をひそめた。

 小野寺の手首がいつもと違う。

 目を落とし、まじまじと見つめればそこにあるのは黒と白の輪っか。

 目を剥き、思わず小野寺の腕を取って、桐野は息を飲んだ。

 他のメンバーに先に行っててくれと軽く手を上げると、なんだよ、と驚く小野寺を問答無用で廊下の隅っこに引きずった。

「これ、どうしたんだよ」
「もらった」
「誰に」
「言わねぇとわかんねぇの?」

 そう言うと、小野寺はにやりと口角を上げて、彼には似つかわしくないピースを桐野の目が寄るほど真近くで見せつけた。

「まっ、まさか、おまえ……っ!」
「俺、言ったぞ。スタメンの報告だけじゃねぇ、全部だ。思ってること全部つたえた」

 気持ちのすべてを打ち明け、それでどうなったのかについては、訊かなくてもわかった。

 答えは目の前に、これ以上ないくらいわかりやすい形で表れていた。

 この緩みきった顔と手首にくくりつけられたミサンガが、小野寺の成功をこれでもかというほど伝えていた。
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