不機嫌な令嬢とイケメン家政夫には、ある秘密がありました。
エピローグ
 お屋敷の三階部分はメイド専用の個室。屋根の傾斜をいかしたお洒落な造りとなっていて、六畳の個室が十室ほどある。

 自室に飛び込んだ私。ドキドキと高鳴る鼓動を整えるため、何度も深呼吸し気持ちを落ち着かせる。

 もうダメだ……。

 全てを百合子お嬢様に知られた気がして、体の震えが止まらなかった。


 ◇◇

 百合子お嬢様が帰宅される直前、玄関のチャイムが鳴り、インターホン越しに宅配業者の元気な声が響いた。

「お届けものです」

「はい、ただいま」

 玄関フロアの掃除をしていた私は、その声にドアを開けた。

 毎日のようにお届けものを配達してくれる、顔馴染みの宅配業者のお兄さんが、笑顔で小包を差し出す。

「南ちゃん、まいど。これ北海道からだよ。印鑑かサインをお願いします」

「はい」

 私は受取書にサインをし小包を受け取り、百合子お嬢様の部屋に運ぶ。百合子お嬢様は外出先からまだ帰宅されていない。

 百合子お嬢様の部屋に入り小包を開くと、中には可愛い鈴蘭の鉢植えがたくさん入っていた。

「……鈴蘭だ。可愛い」

 差出人は石南花向日葵様。桜乃宮家の末娘、向日葵お嬢様だ。鈴蘭の鉢をひとつ取り出し、ドレッサーの上に置く。

 私の唯一の楽しみ。
 それはお嬢様が不在の間、室内清掃の途中にクローゼットのドレスを胸に当てたり、ジュエリーをそっと身につけてみたり、自分がお嬢様になった妄想を膨らませること。

 百合子お嬢様のドレッサーに座り、引き出しをそっと開ける。お目当ては高価なビューティーマリー化粧品。

「あった……。お気に入りの口紅とマニキュア」

 赤い口紅と赤いマニキュアをこっそり取り出して、マニキュアの瓶を太陽の光に当てて楽しむ。

「綺麗……」

 マニキュアの赤い色が太陽に照らされ、宝石のようにキラキラと輝く。

 別の引き出しを開けると、高級ブランドの香水がズラリと並ぶ。見ているだけでも心が躍り楽しくなる。

 数ある香水の中で私の一番のお気に入りは、『Christmas rose』と名づけられた香水。これはどこにも売られていない桜乃宮オリジナルブランド。桜乃宮家のお嬢様だけが持つ特別な香水だ。

 私はポケットから小瓶とスポイトを取り出し、ほんの少しだけ『Christmas rose』を抜き取る。

 部屋に甘い薔薇の香りが微かに漂う。

「大変……」

 小瓶をスカートのポケットに忍ばせ、慌てて部屋の窓を開けパタパタとエプロンで風を送る。

 不意に部屋のドアが開き、私は窓の前に立ち尽くす。

「お、お帰りなさいませ。百合子お嬢様」

 優しい百合子お嬢様は私をお叱りにはならなかった。だからこそ、太陽様の眼差しが怖くて目を合わせることが出来なかった。

 何故なら……。


 ◇◇

 小さな手鏡に映る私…。
 赤い口紅が目に止まり、あの夜がフラッシュバックのように蘇る。

 その記憶を拭い去るように、赤い口紅をティッシュで何度も拭った。

 百合子お嬢様の母親桃花様は私の理想の女性だった。銀座のホステスでありながら、桜乃宮財閥会長である桜乃宮創士様のお目に止まり、シングルマザーであるにも拘わらず正妻の座を射止め、五年前までホステスをしていた私をご自身の専属メイドとして雇って下さった。

 銀座界隈では、桃花様のことは今でもシンデレラストーリーとして語り継がれている。

 その桃花様の突然の死。三人のお嬢様もお屋敷に仕える使用人も悲しみに打ちひしがれた。

 蘭子お嬢様は創士様亡き後、桜乃宮財閥の会長に就任され、一時人間不信に陥られ、お屋敷の使用人を全て解雇された。

 突然解雇された私は、夢も希望も奪われ国内を放浪する。桃花様のようなシンデレラストーリーを夢見ていた私は、いつかは現れるであろう王子様を求め、夜の街に繰り出しては運命の男性《ひと》を探す。

 解雇される前に、百合子お嬢様のお部屋からこっそり抜き取った『Christmas rose』の香水を体に吹き付け、桃花様の源氏名『鈴蘭』を騙り、王子様を探し求めた。
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