ブラッティ・エンジェル
天使
「いらっしゃいませ」
HEARTは今日は開いていた。昨日の臨時休業のせいかいつもよりお客が少なかった。
 なにがあったのか、マスターの顔がいつもよりいい。そんな気がした。
「あら、サヨじゃん。なに?望に用事?」
茶化すようにゆずちゃんが入り口に突っ立っているサヨを小突いた。ゆずちゃんの髪が若干短くなっている。ファッションも以前のサヨに似せたものと全く違うものになっていた。
「そうなんだ。マスター、ちょっと望を借りてもいいかな」
顔はいつものように明るい笑顔だったが、声はぞっとするような冷たくて落ち着いた声。一瞬にして空気を凍らせそうだった。
 ちょこっと星司は眉をよせて、怪訝そうな顔をした。しかし、すぐに新聞に目を落とした。
「別にいいよ。今日客が少なくて暇だからね」
星司の許可がなくても望を連れ出す気だったサヨは、ちらっとエプロン姿の望に視線を送ると店を出て行った。いつもと違う様子のサヨに困惑しながら、望はエプロンのひもを緩めた。
 脱いだエプロンをカウンターに置くと、その腕を星司が力強く握った。その強さに、痛さを感じた望は顔を歪めた。
 何事だと星司を見ると、そこにはなにかを伝えるような強い目をした人がいた。
「なにがあっても手放すなよ。好きならな」
からんっからんっとドアベルが鳴って、客の来店を知らせる。
「いらっしゃいませ~」
それに向けた営業スマイルは、さっきの事が嘘のようにいつものようだった。これが出来る大人だ。
 望は嫌な予感しかしなかった。嫌な空気が、まとわりついているような気がして気持ち悪かった。出来ることなら、なにもなければいい。なにかあるのなら、今はサヨのそばには行きたくはなかった。しかし、そうはできない。
 重い足取りでドアを押して外に出る。日は高い。
 サヨはどこにいるのかと探す前に、視界の端に金髪が映った。店の角。店と店の小さな隙間。どうやら、サヨはそこにいるようだった。
 外はこんなにも眩しくて明るいのに、望の視界はどこかぼやけ暗かった。
 心音が一歩進めていく度に大きくなり早くなる。
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