ブラッティ・エンジェル

その前

 「君みたいな人、僕は初めて見たよ」
レストランで何気ない風に彼が言った言葉に私はさっき口にしたコーヒーを吹き出しそうになった。
 これって、ぇ?
「本当はもう絵を描くのをやめようと思ってたんだ」
「どうして?」
人間と関わるのを避けていた私は、思わず好奇心からそう聞いてしまった。
「スランプってやつかな。自分の納得する絵が描けなくなって」
彼のコーヒーをかき混ぜる手が止まる。見ると、悲しそうな顔が光がさしたような眩しい笑顔になった。
「でも、君を見たら想像がふくらんで描きたいって思ったんだ」
彼って天然なの?自分がどんなこと言ってるかわかってないよね。
 私はしばらくポカンと彼の顔を見つめていた。
 なにがそんなに楽しいのか、彼はにこにこしながらコーヒーをかき混ぜていた。
 いったいどれだけかき混ぜれば気が済むのだろう。砂糖はもうひとかけらも余さず溶けただろう。
 癖なのかな?
 私は知らない間に、彼をじっくり観察していた。
 目に少しだけかかる前髪。大きな目。色味の薄い黒目。黒というか灰色?肌は白いのに手入れされていないせいか少しあれてる。もったいないな。
「僕なんか見ておもしろい?」
「へ?」
そこでようやく私は、じっと彼を見ているんだって気がついた。
 私はなんだか恥ずかしくてうつむいた。
「ちょっと、うつむかないでよ」
「別に、私の勝手じゃん」
私はそのまま、大きなガラス越しに外を見た。
 太陽が眩しい昼。ありの大群のような人間。塔のようにそびえ立つビルの数々。
 どうしてか、私たちのいる空間だけがそこと違うような錯覚を覚えた。
 ここだけが切り取られたみたいな、温かい空間のような。
「な、なに?」
すごい視線を感じ、ちらっと横目で彼を見た。
 余裕があるという態度のつもりなんだけど、大丈夫かな。
 実際、とっても戸惑ってるんだけど…。
「君は、天使だよね」
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