アリスズ

 暑いな。

 菊は、着物の襟を正し、汗ばむ手で木剣を握り直した。

 向かいに立つのは、アルテン。

 彼女が、最初に剣を教えた相手だった。

 すぅっ。

 息を整える。

 木剣を一度腰へと戻す動作をすると、アルテンもそれに合わせる。

 礼。

 シン、と。

 暑い中、世界中が静まり返る。

 一瞬、自分の耳の内にセミの声を聞いた気がした。

 初夏の道場。

 うるさく騒ぐセミ。

 この世界に、セミはいない。

 だが。

 アルテンと向かい合うことは、道場の中にいる錯覚を思い出させる。

 山本流の礼儀を持って戦える、唯一の相手だからだ。

 木剣を構え、相撲の仕切りのように、お互いの呼吸を合わせる。

 切っ先のブレが、完全に止まった瞬間。

 ヒュッと、お互いの剣を振り出すのだ。

 ああ。

 これは、稽古だ。

 打ち合うための打ち合いと、お互い分かっている。

 しばらく離れていたアルテンの、腕がどれほどなまっているか、あるいは上達しているかを見ようとしたのだ。

 兵士との打ち合いとは違い、手がしびれるほどの力を感じる。

 遊び呆けてはいなかったようだ。

 右、左、左──やはり、左の反応が少し遅い。

 本人も、それを知っているので、左の時は特に注意して受けている。

 踏み込んでくる。

 躊躇なく。

 強い面を決めようとしているのだ。

 躊躇のなさが、気持ちよかった。

 菊は。

 その両腕が上がった瞬間、胴を打ちこんでいた。
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