その唇、林檎味-デキアイコウハイ。
 まさか、住所まであったその日に、意にそぐわず知られたとなると、いい加減警察にでも突き出したいくらいだ。…いや、流石に極端だとは分かっているけれど。

 それでもその事実より、明日の平和の方が大切だ。私にだって、学習能力くらいはある。昇降口での出来事を、忘れてはいけない。


「……そうだよだから放して」

「嫌です」


 標準装備の笑顔が、少し形を変えて。あぁ、なんと意地悪そうな顔。

 緩く黒さを醸し出す笑みに、身体が強張る。


「呼んで下さいよ。惺って」


 ここは学校ではない。形振り構わず強く突っぱねたところで、誰も見てはいない。だけど、だからと言ってそれを実行に移すのは、非常に浅はかだ。


「……さ、さ…」


 うっかり零した一言が、意図せず周りを動かす。そんな人だって世の中にはいる。

 それが実は、わざとだったりしたら。どこかをさらっと捏造されたら。


「ほら」

「さと………っ」


 腹を括るしかない。こんなことでここまで緊張している自分がかなり情けなくはあるけれど、吸えない息を無理に吸って、私は呼んだ。もうどうにでもなれ。


「惺…っ!!」


 その名を呼ぶなり微笑んだ彼は、柔らかな笑みを残して背を向ける。

 そうして頭だけで振り返って、こう言った。


「朝は時間が無いんで。月曜休み時間にでも、教室行きますね?」


 この言葉もまた、約束と称するつもりなのだろうか。質が悪いにも程がある、立場の差なんて歴然としているのに。


 今日一日が夢だったら、どんなに楽か。


 どんなに幸せか。

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