120円の恋心
 その美しい姿が、すれ違う瞬間、こちらを見て足を止めた。

ふわりと髪が浮き、シャンプーの香りが一瞬鼻を掠める。


「あ、荻窪くん。今日はひとりなの?」


「……………………うん」


 まさか自分のために足を止めてくれるとは。

まったく予想していなかった荻窪は動揺し、頬を赤らめた。

風呂上がりで体温が上がっていたためだ、と麗華が勘違いしてくれることを願った。


「ねえ、荻窪くん。コーヒー牛乳は飲んだ? ダメだよ、お風呂上がりはコーヒー牛乳飲まなきゃ」


 屈託のない笑顔が、荻窪をさらに緊張させた。口を開いても、うまく言葉にならない。


「あ、もしかして、お金持ってないの?」


「……………………うん」


 荻窪は飛びつくように頷いた。無言のまま話を終わらせたくはなかった。


「そっか、それならこれ、貸してあげるよ。私は部屋から自分のお金、持ってくるから」


 麗華が左手で荻窪の手を持ち上げ、右手に持っていた120円を手渡した。

ずっと握られていたのか、温もりが硬貨を通じて荻窪の手に伝わる。


「それじゃあ、また」


 麗華は他の女子といっしょに、去っていった。

荻窪は渡された硬貨を握り締め、自分たちの部屋へと駆け出した。

この温もりを、誰かに渡したくはない。部屋に戻れば、自分の金がある。

麗華に勧められたコーヒー牛乳は自分の金で買って、麗華からもらったものは大切に保管しておこう。

荻窪は120円を、ズボンのポケットにしまい込んだ。
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