グレスト王国物語
バルベールが、今度はアイシェのなめらかな肌へ優しく唇を落とした。

その時であった。

「…バルベール様。」

バルベールでも、アイシェのものでもない声が、空気を揺らした。

折り重なった2つの影が目にしたのは、他でもない、バルベールの腹心、ジェシカであった。

「お前…何しに来た…」

バルベールは立ち上がる。

「緊急でしたので。」

そう言うと、ジェシカはまるでマリオネットのようにかくりと膝を折った。

その声は、驚くほど冷たく、静かだった。

「お楽しみのところ大変失礼致しますが、先ほど、国王陛下が崩御なさいました。」
「何、じじぃが?ふん、いい気味だ。なぁ…アイシェ。」

バルベールは嬉々としてアイシェを顧みる。

しかし、既にそこには誰もいはしなかった。

「…アイシェ…?」

現れた時と同様、アイシェは闇に溶けて消え失せていた。

─アイシェが、消えた。

そう気づいた途端、先ほどまで嘘のように晴れていたバルベールの心は曇り、重く湿っぽい倦怠感が身体中を支配し始めた。

「…しかしながら、あなた様は王にはなれません。」
「何だと…?」
「亡き王が、大臣と私に御遺言を残されました。…あなたを、王にはするなと。」
「…何、だと…?遺言……」

バルベールの怒りに震える声を聞きながら、ジェシカは、身体中が凍えているのを感じた。

石造りの城は、肌を焼くように冷たく、寒い。

しかしながら、躰に走る震えが、寒さによるものだけではないことが、ジェシカには十分わかっていた。
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