異常人 T橋和則物語
「ねぇ、彼はいつごろ消えたの」ミッシェルは何か暖かいものを感じて、微笑した。「あなたのお友達」
 セロンは首を振った。「わからない」と正直にいった。「おれが……大人になった、それだけのことだよ、きっと」彼はそういって、わらった。
 その間も、和則はというと、必死にタオルで禿頭をふいていた。ぴかぴか眩しかった。「…電話しなきゃ」セロンはいった。
「どこへ?」ミッシェルが尋ねると、「病院の医師にさ」セロンはいった。

  精神科医のオフィスは贅沢で、豪華絢爛といってもいいほどだった。
”東京郊外精神病院”…それがここの名だ。あの和則が”ぶち込まれて”いたところである。芝生を見渡す背の高い窓が、高い天井から磨きこまれた床まで続いている。本棚がいっぱいある。医学関係、精神分析関係の分厚い本でぎっしりだ。医師は大きなデスクの回転椅子に座って、煙草をくゆらせていた。
「……そう。和則君が逃げた」医師は頭をかいた。
 竹田医師は五十歳くらいの堂々たる男性で、ライオンのたてがみのような半白の髪と、もの静かな、好感をもてる顔をしていた。看護婦長はオバさんで、ふとって眼鏡をかけた女性だ。婦長は頭をさげて、竹田医師に謝罪した。
 竹田は物静かだが、その目は知的で、すべて知っているかのような頭脳明晰な男だ。婦長が報告する前にすべて知っているはずなのに、婦長のほうから切り出すのをじっと待っていた。
「すいません、先生!まさか和則君が逃げるなんて……」
「いえ、婦長」竹田医師はいって、続けた。「どうせ、そのうち連絡がくるでしょう。和則君のようなひとを医療知識のないものが扱いこなせる訳はありませんから」
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