太陽はいつも雲の上で照り輝いている
《一章》大きな丸いキンモクセイの木の中で
言葉は 感情的で、残酷で、ときに無力ですね
それでも
僕達、私達は信じている
言葉のチカラを⭐️
「人は、なぜ生きていけるか?知っているか」
父に聞かれたことがある。
幼い僕は、食べるからとか、心臓が動いているからとか、そんなことを答えた気がする。
父は笑って、
「違う違う。誰かに必要とされているから、人は生きていけるんだ」と言った。
僕が生まれた頃は、家には鍵も付いていない
周りにも三軒ほどしかない、山手の中にある
のどかな空気の味がするような場所で、のびのびと4歳まで育ちました。
11月6日…
肌寒い、息がかすかに白くなる冬の入り口
『おめでとうございます。2850グラムの元気な男の子ですよ!わぁ、髪の毛が凄いですね』
『…ありがとうございました』
僕は、丸い丸い、大きな大きな金木犀の木のある平屋の家に四人目の三男として産まれました。
『なんや、ホンマに猿みたいに髪が生えてるなぁ〜』
僕は産まれた時には、すでに目を覆う程の長い髪で本当に、お猿だったのです。
3年の月日が流れて……
『また、やんちゃしにきたんか?遊んでもいいけど、仕事の邪魔したらあかんぞ』
『つとむは、今日は元気かな?』
『うん、む〜なぁ、む〜、今日、ねちゅあるねん』
『また、今日も、ねちゅあるの?早く下がるといいね』
『うん』
構って欲しい訳か、僕は、熱があると、毎日の様に、父の仕事仲間である、おばちゃんにそう言っていました。
僕達家族は、本当は6人家族、、、
実は、一番最初に産まれたのは長女。
そう、僕のお姉さんになるはずだった、、、
母は、お姉さんを生きさせれなかった、救えなかったと、凄く悲しんでたそうです。
父は、『この子は、一度でも、二人の子供として鼓動を聴かせてくれた。そして、産まれてきた。だから、これからも、心の中で生きていくんだ』
そう、母に告げたそうです。
母は涙ながらに、姉を抱きしめ、次に産まれてくるだろう我が子に希望を持ち、姉を天に召されたそうです。
産まれて間もなく姉は天に還ってしまいました。僕に会わずに、姉として一度も会わずに
でも、今でも、姉はこの心に、きっといるはずなんです。
そんな気がします
そして、兄2人と僕がいます。
僕が産まれた時には、もう既に家族を喪っていたんですね。知らず知らずに
僕には、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、居ませんでした。父の両親も母の両親も2人とも幼い時に亡くなっていたそうです。
お爺ちゃん、お婆ちゃんのお年玉、欲しかったなぁ
兄2人には、十分に遊んでもらっていたのですが、何故か、父の仕事場が好きだったのです
父は広島産まれで、若き頃に、戦争、そして、原爆という黒い悲しみを体験し、戦後、握りしめたお金を持って、裸一貫で、この丸い大きな金木犀の木のある場所にたどり着いた。そして、人の終着駅である火葬場で働いている
母は、12人の6番目の二女として産まれてきた。天の運命か、一歳の時、医療ミスにより、左手麻痺の障害を持ってしまい、10歳にして両親と死別…そして、知らぬ人に、あすげられ子供ながらに障害を持ちいじめられ育った。そして、19歳の時、運命の人、父と出逢いました。
『私、私なんか、こんな手で、あなたの嫁にはなれない』
『そんな事は、何一つ気にすることじゃない、今まで苦労したんだから、これからは、僕が守る☆結婚してください』
母は涙ながら、ゆっくり、うなづいたそうです。
それから、11年後に、僕が産まれました。
それでも
僕達、私達は信じている
言葉のチカラを⭐️
「人は、なぜ生きていけるか?知っているか」
父に聞かれたことがある。
幼い僕は、食べるからとか、心臓が動いているからとか、そんなことを答えた気がする。
父は笑って、
「違う違う。誰かに必要とされているから、人は生きていけるんだ」と言った。
僕が生まれた頃は、家には鍵も付いていない
周りにも三軒ほどしかない、山手の中にある
のどかな空気の味がするような場所で、のびのびと4歳まで育ちました。
11月6日…
肌寒い、息がかすかに白くなる冬の入り口
『おめでとうございます。2850グラムの元気な男の子ですよ!わぁ、髪の毛が凄いですね』
『…ありがとうございました』
僕は、丸い丸い、大きな大きな金木犀の木のある平屋の家に四人目の三男として産まれました。
『なんや、ホンマに猿みたいに髪が生えてるなぁ〜』
僕は産まれた時には、すでに目を覆う程の長い髪で本当に、お猿だったのです。
3年の月日が流れて……
『また、やんちゃしにきたんか?遊んでもいいけど、仕事の邪魔したらあかんぞ』
『つとむは、今日は元気かな?』
『うん、む〜なぁ、む〜、今日、ねちゅあるねん』
『また、今日も、ねちゅあるの?早く下がるといいね』
『うん』
構って欲しい訳か、僕は、熱があると、毎日の様に、父の仕事仲間である、おばちゃんにそう言っていました。
僕達家族は、本当は6人家族、、、
実は、一番最初に産まれたのは長女。
そう、僕のお姉さんになるはずだった、、、
母は、お姉さんを生きさせれなかった、救えなかったと、凄く悲しんでたそうです。
父は、『この子は、一度でも、二人の子供として鼓動を聴かせてくれた。そして、産まれてきた。だから、これからも、心の中で生きていくんだ』
そう、母に告げたそうです。
母は涙ながらに、姉を抱きしめ、次に産まれてくるだろう我が子に希望を持ち、姉を天に召されたそうです。
産まれて間もなく姉は天に還ってしまいました。僕に会わずに、姉として一度も会わずに
でも、今でも、姉はこの心に、きっといるはずなんです。
そんな気がします
そして、兄2人と僕がいます。
僕が産まれた時には、もう既に家族を喪っていたんですね。知らず知らずに
僕には、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、居ませんでした。父の両親も母の両親も2人とも幼い時に亡くなっていたそうです。
お爺ちゃん、お婆ちゃんのお年玉、欲しかったなぁ
兄2人には、十分に遊んでもらっていたのですが、何故か、父の仕事場が好きだったのです
父は広島産まれで、若き頃に、戦争、そして、原爆という黒い悲しみを体験し、戦後、握りしめたお金を持って、裸一貫で、この丸い大きな金木犀の木のある場所にたどり着いた。そして、人の終着駅である火葬場で働いている
母は、12人の6番目の二女として産まれてきた。天の運命か、一歳の時、医療ミスにより、左手麻痺の障害を持ってしまい、10歳にして両親と死別…そして、知らぬ人に、あすげられ子供ながらに障害を持ちいじめられ育った。そして、19歳の時、運命の人、父と出逢いました。
『私、私なんか、こんな手で、あなたの嫁にはなれない』
『そんな事は、何一つ気にすることじゃない、今まで苦労したんだから、これからは、僕が守る☆結婚してください』
母は涙ながら、ゆっくり、うなづいたそうです。
それから、11年後に、僕が産まれました。