龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
 この年、若き将軍家茂が死んだ。勝麟太郎は残念に思い、ひとりになると号泣した。後見職はあの慶喜だ。麟太郎(のちの勝海舟)は口をひらき、何もいわずまた閉じた。世界の終りがきたときに何がいえよう。あとはあの糞野郎か?
 心臓がかちかちの石のようになり、ぶらさがるのを麟太郎は感じていた。全身の血管が凍りつく感触を、麟太郎は感じた。
 ……くそったれめ! 家茂公が亡くなった! なんてこった!
 そんななか、長いこと麟太郎を無視してきた慶喜が、彼をよびだし要職につけてくれた。なにごとでい? 麟太郎は不思議に思った。

  幕臣の中でキモがすわっている者といえば、麟太郎だけである。
 長州・士広沢兵助らに迎合するところがまったくない。単身で敵中に入っているというのに、緊張の気配もなかったという。しかし、それは剣術の鍛練を重ねて、生死の極みを学んでいたからである。
 麟太郎は和睦の使者として、宮島にきた事情を隠さず語った。
「このたび一橋公(慶喜)が徳川家をご相続なされ、お政事むきを一新なさるべく、よほどご奮起いたされます。
 ついては近頃、幕府の人はすべて長州を犲狼のごとく思っており、使者として当地へ下る者がありません。それゆえ不肖ながら奉命いたし、単身山口表へまかりいでる心得にて、途中出先の長州諸兵に捕らわれても、慶喜公の御趣意だけは、ぜひとも毛利候に通じねばならぬとの覚悟にて、参じました」
 止戦の使者となればよし、途中で暴殺されてもよし、麟太郎は慶喜がそう考えていることを見抜いていた。麟太郎はそれでも引き受けた。すべては私ではなく公のためである。 広沢はいった。
「われらは今般ご下向の由を承り、さだめて卓抜なる高論を承るものと存じて奉っておりますが、まずご誠実のご心中を仰せ聞かせられ、ありがたきしだいにごりまする」
< 99 / 115 >

この作品をシェア

pagetop