-生方[ウカタ]家物語-
-生方[ウカタ]家物語・ソノ2・明治~平成の直前まで編-
生方[ウカタ]サエは明治維新後に誕生し、年頃になると、幼馴染みの石手銀乃介[イシテギンノスケ]を婿に迎えて俳優になった息子の銀乃丞[ギンノジョウ]と、娘の絹衣花[キヌカ]を儲けました。大正時代に入ると、俳優になった息子の銀乃丞[ギンノジョウ]は、スイスのジュネ-ブに移住してオペラ歌手になったマリア・ト-マス・ハ-グナ-ドの家に婿入りし、日本を捨てました。日本がアメリカ等との戦争に負けた頃、妻の万莉杏[マリア]との間に息子の銀太郎と、銀次郎を儲けました。スイスのジュネ-ブからフランスのパリへ遊びに行っていた息子の銀太郎と、銀次郎が日本からきていた商社マンの桜乃勝興[サクラノカツオキ]に連れられて日本に帰国し、秋田県にあった銀乃丞[ギンノジョウ]の実家に住む妹の絹衣花[キヌカ]に引き取られて育ちました。俳優になった絹衣花[キヌカ]の兄の銀乃丞[ギンノジョウ]が妻になった万莉杏[マリア]を連れて帰国した頃、秋田県に住む絹衣花[キヌカ]に育てられた銀乃丞[ギンノジョウ]の息子の銀太郎は1級建築士と、医師免許を取得して個人病院で働いていた時に作曲家の西平万寿夫[ニシダイラマスオ]にスカウトされて演歌歌手になりました。演歌歌手になる前に医学博士兼女優の能生浜弥生[ノウハマヤヨイ本名生方<ウカタ旧姓角平[カドヒラ]>弥生<ヤヨイ>]との間に4人の娘と、4人の息子を儲けて結婚している事を隠してままの状態にしていましたが、1級建築士になって生方[ウカタ]家の跡を継いだ銀太郎の双子の弟の銀次郎を交通事故で亡くした際にマスコミにバレてしまった為、緊急に記者会見を開き、『一般人だった頃に妻で医学博士兼女優の能生浜弥生[ノウハマヤヨイ本名生方<旧姓角平[カドヒラ]>弥生<ヤヨイ>]と、出来ちゃった結婚をして4人の娘と、4人の息子に恵まれたんだよ。長男の優と、次男の秀[シュウ]と、四男の弥太郎が交通事故で他界した時に勤務先の高校の修学旅行に行っていて難を逃れた洋画家兼高校教師で三男の銀弥の家で家族と、同居しているんだよ。』と、告白しました。
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