優しい雨
修一が病気休暇を取り始めてから一ヶ月くらいが経った頃、私は実家の母から叔母が乳がんで都内の病院に入院したことを知らされ、一緒に見舞いに行くように言われた。
私は静岡の両親や妹の家族には、修一の病気のことは話していなかった。
私自身が修一に対してどうしたらいいのか全く見当が付ず、ただ毎日、おろおろしながら看病している状態だった。
そんな状態の自分が、修一の病気をきちんとみんなに説明できる自信がなかった。
中途半端に修一が病気休暇で家に居る事を話したら、きっとみんなを変に不安がらせてしまうだけだろう。
それは避けたいと思った。
それにその頃は、このまま医者に言われた通り三ヶ月間、休養すれば修一は何も無かった様に元の状態に戻るかもしれないという希望的観測も持っていた。
私は数日後に、静岡から出てくる母と連れ立って、叔母を見舞う約束をした。
私は静岡の両親や妹の家族には、修一の病気のことは話していなかった。
私自身が修一に対してどうしたらいいのか全く見当が付ず、ただ毎日、おろおろしながら看病している状態だった。
そんな状態の自分が、修一の病気をきちんとみんなに説明できる自信がなかった。
中途半端に修一が病気休暇で家に居る事を話したら、きっとみんなを変に不安がらせてしまうだけだろう。
それは避けたいと思った。
それにその頃は、このまま医者に言われた通り三ヶ月間、休養すれば修一は何も無かった様に元の状態に戻るかもしれないという希望的観測も持っていた。
私は数日後に、静岡から出てくる母と連れ立って、叔母を見舞う約束をした。