愚者
店内の壁掛け時計が時を刻む中、遠くから眩しいヘッドライトが迷う事無く私の居る店に向けて近付いて来る。流石に娘の事と成ると何もかも投げ出したと云った所だ。私にもそれだけの思いが有れば妹に辛い道を歩ます事は無かった。だが、今更過去を振り返っても仕方が無い。私はゆったりとした足取りでドアを開け、妹である恵が来るのを待つ。タクシーが止まり、ドアが開くと恵が忙しなく駆け出し私の元に来る。顔面は蒼白に成り取り乱しているのが一眼で分かる。
「あの……」
「取り合えず落ち着くんだ」
 私は取り乱しそうに成る恵に出来得る限り優しく話し掛け、店の中に視線を向けて促す。今から数十年の時を経た感動の再会と行きたい所だが、そう云う訳にも行かない。
 店内のライトを点けてスツールを勧め、私はカウンターに入り珈琲を入れる。今更どれだけ急いだとしても意味は無い。それなら落ち着いた雰囲気を作り、冷静に話を聞ける状態にしてから話すのがベストだ。恵からすればもどかしいかも知れないが、遠回りの方が良い場合もある。今は敢えて回り道な方法で話を進める事にする。
「葵は大丈夫なんですか?」
「先ずは母親で在る貴女が落ち着くのが先決だ」
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