サクラ



 雨が降っていた。


 冬の冷たい雨が身体の芯まで凍らす。

 雨?

 何故外に居る?

 此処は何処だ?

 寒いという感覚だけが、はっきりと私の五感に突き刺さっている。

 景色はぼやけ、灯りは感じられない。

 無音の空間が、私を包んでいる。

 突然、雨が止んだ。

 いや、そうではなかった。

 いつの間にか、私は何処かの室内に居たのだ。

 見覚えのある部屋。

 思い出せない……

 私の脳が、記憶を封印しようとしている。

 思い出せないのではない……

 思い出そうとしないのだ……

 夢…そう、私は夢だと気付いている。

 この続きが何であるかも知っている。

 見たくない……

 目を醒まさねば……

 無情にも時は過ぎて行く。夢の中の私が歩いている。台所だ。

 いかん!そこへ入っちゃいかん!

 制御が効かなくなったロボットのように、私の身体は記憶の中にしまわれた動作を繰り返す。

 あの夜と同じ動作を手が、足が、五体全てがなぞり始めた。


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