軌跡
 玄関の扉が開かれたのは、五時を少し過ぎた頃だった。
「おかえり。どうだった?」
 立ち上がり扉の方を振り向くと、愕然とした。
「どうしたんだよその格好! 傘借りたんじゃないのかよ」
 玄関にはずぶ濡れの優が、大粒の雫を垂らしながら立っていた。
「電車の中に、忘れちゃって」
 力のないほほ笑みは、頬を伝う雨により、泣いているようだった。
「それならそうと、連絡してくれれば迎えに行ったのに」
 奥からバスタオルを持ってくると、そのままシャワーを浴びさせた。
 オーディションが上手くいかなかったのかもしれない。きっと電車に傘を忘れたというのは、嘘だろう。傘を借りたこと事態が、嘘だろう。雨に濡れたいことくらい、誰にでもある。
こういうときこそ、おれがシッカリしなくては。
……そう思う半面、睦也の心は微かに安堵していた。それは睦也自身でさえ気付かない程、微かに。
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