雪女の息子

「遅いじゃないですか、編集長」

「悪い」

出勤早々に、白峰の剣幕が襲い掛かる。これという新情報が入って来ないためにイライラしているようで、今の彼女に触れる事は避けたほうが賢明だろう。

「仕事は山ほどありますからね」

「わーってる」

ひらひらと手を振りながら秀明はデスクについた。山のように積み上げられた原稿等に、少し絶句してしまうが放置した自分が悪いのだ。嫗山の話は後で聞くとして、まずは目の前のこの山を切り崩す事を目指す事にした。



来客が去って行った嫗山の山小屋には、またしわがれた悪魔の声が聞こえてきた。地の底からすべてを揺らすような声に、小動物達は逃げ惑い、そして悪魔の息吹に倒れる。
そんな死へといざなう音の中で、また一つ異質な音が聞こる。

  ――ガシャッ ガシャッ……

何かがこすれるような、崩れるような、そんな音。その音とともにたとえでもなく、山が揺れる。音は大きくなり、大きな吐息が聞こえたら、白い靄があたりに立ち込めた。息吹にあてられた物は動植物に限らず生命力を失い、干からび、それが広く伝わろうとしていた。

「……おやめなさい」

だが、その死の息吹は山小屋からの声でピタリと止まった。そしてまたあの音が山に響きわたり、山小屋を揺らす。

「ババサマ……ババザマ……」

聞こえてくる声は風が混じり、聞き取ることが難しい。だがそれでも、その声は悪魔と同じように、山の動物を震わせた。震えていないのは、山小屋の中にいる者だけだった。

「息子よ……戻りなさい………」

また、制止の声。この声により、ようやく山は少しの間だけ静まりかえった。

  ――ガシャッ ガシャッ……

音は徐々に小さくなっていく。残る山小屋の中の者は、重い腰を上げて戸に手をかける。ゆっくりと開いていく戸。差し込む光に照らされて、山小屋の中の様子が見えてきた。

「明日、始めよう……」

中から出てきたのは、見上げるほどに大きな身の丈と、ボロボロの着物。シワが深く刻まれた顔からは、獣のような眼と、鋭い牙がのぞかせる。手からは日の光を受けて光る長い爪が伸びていた。その姿は、まさしく……


  ――――鬼。

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