あなたへ。
夜から明はフェニックスのメンバーとスタジオでバンドの練習を行うと言う。
なので二人っきりの甘い時間は割とすぐ終わりとなってしまった。
こんな時間がずっと続くといいのに、このまま時間が止まってしまえばいいのに…そんなことを明の腕の中で何回も考えた。
明はまた車であたしの家の近くのコンビニまで送ってくれた。車が店の駐車場に入り込み、停止した。

「じゃあな、練習終わったらまたメールするわ」

「うん」

今日のところはこれでお別れかぁ…。助手席のシートベルトを外しながらあたしは明を見る。

「またね」

「ああ」

車から降りたあたしに明は優しく手を振り、車は去って行った。二人が初めてひとつになった日だと言うのに、なんだか妙にさっぱりした別れだった。
あたしは、まだまだ明と一緒にいたくて、名残惜しくてしょうがないのに、どうしたんだろう、明…?
いつもなら、車で送ってくれた帰りは、あたしが車を降りる時に、お別れのキスをしてくれるのに。

もしかして、あたしとの…その、行為が良くなかったとか…?
それとも、あたしだけが一人で、家を出るなんて言ったから、ビックリしたのかな…?

自分の悪い癖だとは重々自覚してはいるが、何か気になることがあると、悪い方悪い方に考えてしまう。
でも…明だってあの家に居たくないって言ってたし、けど明はまだ社会人じゃないし、学校やバンドだってあるし、いくらバイトしてるって言ったって、自活は難しいと思う。
それだったら、バイト以外は体の自由が効くあたしの方がまだ一人暮らしが出来ると思う。その方が効率的だ。働こうと思えば、明の為ならいくらでも働ける。

そんなことを考えながら帰路に着いていた。自宅に入ると、居間にいたママがあたしを見て「おかえり」と言った。
なんだか今日のママはいつもと違う。髪型もキチンと整え、化粧も控えめであるがしっかりと施し、服装も白いブラウスに薄手の黒のカーディガン、チノパンとやはり無難ではあるがいつもよりはやはりキチンとしている。
いつも家にいる時は着古したTシャツに、膝の出掛かったジーパンなんて格好で、髪も化粧も適当なのに。まぁ、パートに行く時は多少マシだけど。

「どうしたの?」

あたしが思わず尋ねた。

「これから、パートの面接に行って来るから」

パートの面接?あたしのママも、家から徒歩10分の距離にあるスーパーで週に4回、レジ打ちのパートをしている。
今のパート先よりもいい条件の仕事でも見つかったのだろうか。

「面接って?」

「ほら、最近近所に居酒屋が出来たじゃない?あの小さい、こじんまりした。あそこの店主さん、お隣の田中さんの知り合いなんですって。今、週3回夜3時間くらい出れる人を探してたって言うの。
それで田中さんの奥さんが、新庄さん、瞬介くんの学費とか仕送りとかでもうちょっと働きたいって言ってたしどう?って言ってくれて。
奥さんから店主さんに口利きしてくれたみたいで、まぁほぼ受かると思うけど、とりあえず形だけでも面接するからって言われて」

「そうなんだ」

ということは、今やっているスーパーのレジ打ちの他に、その居酒屋のパートもするということか。
するとママが夜に働いている間、あたしが家のことをやれと言われるに決まっている。冗談じゃない。

「やっぱりね、瞬介が東京の大学行くとなると、お金がかかるしね。あの子には家の経済的事情とかで、やりたい事を諦めて欲しくないのよ」

「……」

あたしは何も答えられなかった。あたしが高校生の時は、パパがリストラされて生活が苦しい、という理由で就職を強制したくせに。
まぁ、あたしは瞬介と違ってやりたいことなんてなかったけど。

「じゃあ、行って来るから」

「うん。頑張ってね…」

「あ、杏子」

「なに?」

「今日の夕飯は、カレーだからあっためて食べてて」

それだけ言うと、ママは車の鍵を持って家を出た。家の外で車のエンジン音が鳴り、次第にそれが遠ざかっていく。
ママはいつだって、瞬介瞬介瞬介だなぁ……。
そう言えば最近、パパもママも、あたしにちゃんとした就職は探しているのか、アルバイトなんて続けて、将来どうするつもりなんだって全く言ってこないことに気がついた。
前は耳にタコが出来るくらい言っていたのに。
もう、あたしに何も期待していないのかな。あたしなんて、この家にいなくてもいい存在なのかな。

やっぱり、この家は出た方がいい。早く明と暮らしたい。

そう思いながらも、急にとてつもない空腹感を感じ、あたしはカレーのある台所へと急いだ。
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