遥かなインド
出発の時、
その日は私の人生にとって22回目のクリスマスだった
雪舞う神戸港から上海行きのフェリーに乗り込んだ。
乗客は学生や中国へ里帰りする女性たち、日中文化交流会という団体だったり
実に様々な人々がいた
皆始めて会う者同士だったが船上で卓球や縄跳びをして過ごした。
皆で見た海上での夕日が格別に美しいかったと記憶している。
そんな船内で過ごすこと2日、
インド洋を渡り上海へ到着。
そこから西安までは中国鉄道の深夜特急で一人日本人として乗りこんだ。
−もう日本語は通じない、周囲に頼れる人もいない…
中国語の分からない私はとりあえず漢字の筆談で周囲の中国人と話した。
皆「日本人!(リーベンレン)」などと言って近づいて来て話してくれたけれど、
やっぱり中国語はわからなかった。
そんな言葉のわからない中でも周囲の中国の方々は向日葵の種(お菓子)を一緒に食べないか?
と誘ってきたり
2歳くらいの女の子が
「阿〜位〜!」
たどと元気よく話しかけてきてくれたのだ。
私は中国の方々に少し癒されその場に馴染み始めたのだった。
その日は私の人生にとって22回目のクリスマスだった
雪舞う神戸港から上海行きのフェリーに乗り込んだ。
乗客は学生や中国へ里帰りする女性たち、日中文化交流会という団体だったり
実に様々な人々がいた
皆始めて会う者同士だったが船上で卓球や縄跳びをして過ごした。
皆で見た海上での夕日が格別に美しいかったと記憶している。
そんな船内で過ごすこと2日、
インド洋を渡り上海へ到着。
そこから西安までは中国鉄道の深夜特急で一人日本人として乗りこんだ。
−もう日本語は通じない、周囲に頼れる人もいない…
中国語の分からない私はとりあえず漢字の筆談で周囲の中国人と話した。
皆「日本人!(リーベンレン)」などと言って近づいて来て話してくれたけれど、
やっぱり中国語はわからなかった。
そんな言葉のわからない中でも周囲の中国の方々は向日葵の種(お菓子)を一緒に食べないか?
と誘ってきたり
2歳くらいの女の子が
「阿〜位〜!」
たどと元気よく話しかけてきてくれたのだ。
私は中国の方々に少し癒されその場に馴染み始めたのだった。