ぼくたちは一生懸命な恋をしている
突然現れた王子は、私たちと初対面のはずなのに親し気で、自然な所作でさっきまであいりちゃんが座っていた席に腰を下ろした。

「はじめまして、あいりの兄のかなでです。いつもあいりから話を聞いてて、一度あいさつしておかなきゃと思ってたんだ。大切なオトモダチだっていうから」

至近距離からの上目遣い。神様から愛された造形だ。普通の人なら感激のあまりにめまいさえ起こすかもしれない。

「とくに隼君には、昨日とってもお世話になったんだってね。アイツ世間知らずだから、付き合うの大変だったでしょ?迷惑かけてごめんね~」

裏を感じさせない明るい口調でも、彼のしたたかな腹の内は明らか。さすがだ。対応が早い。付き合うことになった翌日にプレッシャーをかけにくるなんて。
秋山は逃げる、という確信が私にはあった。本当は臆病者だからこそ、争い事を回避するためにうまく立ち回る術を身に着けた男だ。いつものようにヘラヘラと、要領よくかわすのだろう。そう思っていたのに。

「そんなに心配しなくていいよ、お兄さん。ヤりたいだけなら、もうとっくにヤってるから」

今日、耳を疑ったのは、これで二度目だ。
真顔で何を言い出すのか、こいつは。

「あいりちゃんって、なぁんにも知らないよね。やさしくしてあげただけで、すぐ恋人になれちゃうんだもん。危機感なさすぎ。頭が弱いのかな?いままでよく無事に生きてこられたよね。あの調子じゃ、ちょっと言いくるめれば簡単に股も開い……」

「やめてよ!」

声が出たのは、無意識だった。
最低。
本当に最低。
あいりちゃんのこと、そんなふうに思っていたなんて!
胸倉を掴んでやろうかと立ち上がった私を、王子がやんわりと制した。

「円香ちゃん、座って話そうよ」

取り乱した私の方がおかしく感じるくらい、彼は穏やかだ。

「……もう。遠野が先にキレたらダメじゃん」

湿気た視線を向けられて、ハッとした。秋山はわざと王子を挑発していたのだ。あまり関係のない私が、まんまと引っかかってしまった。王子がのぞきこんでくるのが居たたまれなくて、すごすごと腰を下ろす。その慰めるような目、ものすごく腹が立つ。完全に人を見下している。本当、あいりちゃんとは全然似てない。

何か考えがあるらしい秋山は、強気な態度を変えない。

「動揺しないんだ?あいりちゃんのことが心配でこんなとこまで来たクセに」

「びっくりしすぎて声が出なかったんだよ」

「百瀬かなでが俺ごときにひるむタマですか。つまんない冗談はやめてよ」

「ほんとだって。オレもあいりも、そういう話題は苦手なんだ。お願いだから、あいりには手加減してやって」

「近づくな、とは言わないんだね。いいの?悪い虫は早いとこやっつけとかないと。今日にでも手、出しちゃうかもよ?」

「隼君は大丈夫。ほんとに悪い人は、そんな宣言しないでしょ?」

二人が、笑顔のまましばらく無言で見つめ合う――本当は、にらみ合い、という表現が正しいのだろうけれど。胃に穴が開きそうな緊迫感の中、秋山はますます笑みを深めた。

「そうだね。お兄さんや駿河君と違って、俺はあいりちゃんのことをまっとうに大切にしますので、どうぞご心配なく」

王子の笑みに、初めてヒビが入った。たぶん、唐突に出てきた「駿河君」に反応したんだと思う。それは、あいりちゃんの保護者の名前。なぜ秋山は今その名前を出したのか。
私が首をひねっている間に、王子の見せたかすかなほころびは、すぐにつくろわれていた。

「隼君も円香ちゃんも、思ってたよりずっと良い人でよかった」

王子は私たちの顔を交互に見て、本心か嘘か分からないつぶやきをしたかと思えば、とたんに立ち上がって声を張った。

「あいりに隼君みたいな素敵な彼氏ができてうれしいな!」

これには、私だけじゃなく秋山も意表を突かれたようだ。ずっと聞き耳を立てていたのだろう外野が、にわかに騒めき出す。

「隼君になら、安心してあいりを任せられるよ。あいりは幸せ者だなぁ!」

いかにも嬉しそうにはしゃぎながら、王子はA組を去っていった。
視線は、もちろん秋山に集中する。これから秋山とあいりちゃんは、よりいっそう多くの目に監視されることになったのだ。

「やっぱ王子は手強いわ」

秋山は力なく笑って、机に突っ伏した。
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