紙吹雪

明治二年五月五日

函館 五稜郭─…





｢…明日､か…｣



窓の外､闇夜に浮かぶ月を見上げながら一人の男が小さく呟いた｡

身に纏う洋装は時代の変化を､短くそろえられた黒髪は彼の覚悟を表す｡




｢そうですね｣



月に思いをはせる男に答えるように女が一人､部屋の奥から姿を現した｡


彼女が歩くたび､この空のごとく深く長い黒髪が風に舞うように揺れる｡




｢市村のやつ､無事に出れたならいいんだが…｣


｢大丈夫ですよ｡副長命令は絶対ですから｣




困ったように笑いながら言葉を紡ぐ男に､心配する必要はないと笑う女｡


その言葉に安心したのか､男の肩から力が抜ける｡






｢…明日で､最後かもな｣



暗闇に目を向けたまま嘲笑うように､しかしどこか満足気に口角を引き上げる男｡
まるで､この景色が見えていたかのように｡



｢不安ですか?｣



女はｸｽｯと笑うと男の隣に立ち､その肩に優しく羽織をかける｡





｢…不安､か｣




そう言うと､男は視線を外の世界から隣に立つ女へと移した｡そして､柔らかく微笑み




｢昔はよく不安になったけどな｡今は感じてねぇ｣




それだけ告げると､女の手を引き自らの腕の中に閉じ込める｡
首筋に顔を埋めれば､香る甘さにさらに強まる腕の力｡

女もぎゅっと男に手をまわし､その体を抱き締めた｡





｢あんなに嫌だと思ってた"不安"っつーのが､どんだけ愛しいか､今やっとわかった｣



苦笑しながら女の額に口付ける｡


伝わる震えは武者震いか､それとも"不安"か｡


その答えはわからなくていい､と二人はただ互いの存在を確かめるように抱き締めあう｡


交わる鼓動にいつの間にか二人の口元には小さな笑みが浮かんでいた｡





｢…なぁ馨｡一つ､約束しようか─…｣





男は名を､土方歳三という｡




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