六天楼(りくてんろう)の宝珠
「吏庚様には……私から手紙でお断りをさせて頂きました。ここに囲われてしばらくの間は、屋敷を出る事が叶いませんでしたので……」

 その言葉の裏に潜むおぞましい事実に、碩有は絶句してしばらく言葉もなかった。

 榮葉と彼が出会ったのは五年前、鳳洛を離れ桐に遊学していた際の話である。身分を隠し経済の勉強と正区の一角に部屋を借りた彼と、実家がすぐ隣にあった彼女は顔を合わせる内に親しくなった。男女の仲になって三年が経った頃、碩有が鳳洛に戻らねばならなくなった。

 連れて行こうかと考えた矢先、それを告げる前に榮葉から別れ話を切り出して来た。

 「他に思う人が出来た」と。領主の側室にはなりたくない、とも言った。

 本来ならば次期領主の情けをはねつけるなど、有り得ない無礼だ。

 だが碩有は追う気にはなれなかった。榮葉本人の心が他所にあるのに、無理強いをすべきではないとも思った。相手の男には複雑な感情を覚えたが、吏庚は富裕な良家の出、何より誠実な人柄に結局納得してしまった。

 時を置かず予定通り彼は鳳洛に戻り、直後祖父の病を知る──

「吏庚様からは今でも時折手紙が届きます。でも、どうする事も出来ません。……幾度扶慶様に申し出ても、撥ね付けられ暴力を奮われるだけで。逃げ出すのを恐れるのか、最近では何処に行くのにも連れて行かれます」

 榮葉は泣き崩れた。

「こんな姿を貴方に見られるとわかっていたら──工場になど決して参りませんでした」

「榮葉……」

「この方は私を物として見せびらかしたいだけなのです。閉じ込め自由を奪い、着飾らせ贅沢を与えるだけ。そして意のままにならなければ力ずくで従わせようとする……もう、何の為に貴方から離れようとしたのかわからなくなってしまいました」

 せめて彼女を宥めて嘆きを受け止めようと、手を伸ばしかけた碩有の動きが止まった。

 慟哭の合間に、途切れ途切れに紡がれる言葉。

 ──閉じ込めて自由を奪い。

 ──着飾らせ、贅沢を与えるだけ。

 勿論榮葉を哀れに思う気持ちに嘘偽りはない。だが。
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