沈黙の天使
第1章 沈黙の天使
六畳ほどの部屋には窓が一つ。花柄のレースのカーテンが掛かった窓から朝日が覗く。
時計の針は七時過ぎを指し示していた。

シンプルなパイプベッドに、水色の布団カバーにベージュの毛布。
絵美が腰かけているそのベッドから見下ろして見ているのは、口から大量の血を流して呻いている母親――弘子の姿だ。

「ゴボッ…!」

やっとのことで体を支える右腕は、カタカタと揺れている。
左手で喉元を抑えながらゆっくりと床へ沈んでゆく。

口から流れた血液は首を、肩を、みるまに赤く染めあげてゆく。
その光景を凝視している絵美の背中には暖かな太陽の日差し。
そして細く開いたドアの奥でそのドアノブにしがみついている祖母だけだ。


‡‡‡‡‡‡


絵美が弘子と会話をしていたのは丁度七時をまわった頃。

『明日は大事な用事があるから学校をお休みしなさい』

昨日の夜そう声をかけてきた弘子の言葉を聞いて怪訝そうな顔をする絵美。

隆彦と会えないじゃない。

ごくごく平凡な高校生活を送っていた絵美にとっては彼氏に会うというのが登校の何よりの理由だった。
自分の誕生日だともなればなおさら不服だろう。

普段より三十分ほど遅く絵美を起こしに来た弘子は、何の前触れもなく話し始めた。

「あなたは今日で十八歳。お母さんは今日で絵美とお別れしないといけないの。そして最後の仕事をするの。あなたを天使にするの」

しっかりと絵美を見つめる弘子の表情には諦めが映し出されている。
しかし気丈に振舞っている表情も読み取れた。

「天使?何言ってんのよママ」
「……しっかり見ておくのよ」

そう言って絵美の毛布をめくり、そこに座らせた。
それから弘子の体が赤く染まるまでには数分もかからなかった。
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