ウォーターマン
怒りの脱出
 マスコミは、笙子の初七日もすまない内に、全事件について大々的に報道した。昭和初期のゾルゲ事件以来のスパイ事件として、背景には巨大な政治的思惑有り、と推論を展開している雑誌も多々出回る始末であった。
 マスコミは、公安大臣たる久坂の責任を追求した。久坂邸前には、二十四時間報道陣が居座っている。美子は我が子を喪失(そうしつ)した絶望感と、報道陣の連日の包囲の重圧に耐えかね、極度の精神疲労におち、寝込んでしまっている。
 民自党も世俗も一様に、久坂を大臣失格と攻発(こうはつ)し、遷都を十月に控えた磨生内閣は、窮地に立たされた。緊急閣議が招集され、久坂は公安大臣を辞任したが、内閣支持率は急落していきつつあった。

 北朝鮮で諜報活動に従事している高山は、一九七0から八0年代にかけて、北朝鮮政府によって拉致されたとみられる日本人十一人の居場所も突き止めていた。強制連行された日本人は高山の捜査したところ百人に及んだ。このうち二00二年に生還を果たした五名を除く八十四名は、死亡若しくは行方不明となっている。生存者も皆五十代以上で、高山が内密裡に彼等の心情を確認したところ、何れの者も、
「日本に帰りたい」
 と本音を告白した。
 高山は同じ日本人として、被害者達の身の上に同情し、
「磨生宰政は、諸君を必ずや救出される」
 と励ましていた。家族ごとの帰国を願う者にも、一家救出を確約していた。
 国防省と公安省を中心に押し進められていた北朝鮮侵攻作戦は暗号名、
「怒りの脱出」
 作戦と命名された。サマーバケーション中の八月に決行を予定していたのであるが、久坂の退任によって、変更を余儀なくされている。公安大臣は江見科学大臣が兼任し、久坂は副宰政として党務に専念することになった。
「怒りの脱出」
 プランは、年明け迄延期されることとなったのである。
 


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