ボーダー
《明日香side》
お昼ごはんを一緒に食べて、初めて聞いた、室長もとい、お兄ちゃんの過去。

それに、エージェントルームの規則の秘密。

『自由な恋愛をさせると誰かが悲しい目に遭うからそれは避けたい』

分からないこともない。

でも、同意はできない。

徹と結婚することになって、幸せを噛みしめるたびに、悪いことをしている気持ちになる。

お兄ちゃんは現実から目を背けているだけ。
現に、私も徹も社員同士、恋愛している。
つい、昨日プロポーズされたばかりだということは脇において、それでも幸せだと、胸を張って言える。

詳しく話は聞けていないけれど、インキャンでついに幼なじみ関係から恋人にステップアップした、青春まっただ中なハナちゃんとミツくんも……

ナナちゃんはファッションモデルにとても憧れている。
そんなナナちゃんの彼氏の矢榛くんは、ナナちゃんが撮影で着られるような服をデザインしてやりたいという。

少々……いや、かなり不純な動機ではあるが、デザイナーを目指している、ファッション好きカップル2人も、幸せだと思う。

アパレルショップの店長をやっていた人間として、業界の光も闇も、時間があればナナちゃんと矢榛くんの2人に話をしている。

その2人とも、最近会えていない。

ナナちゃんのことは、気がかりだがお兄ちゃんに任せよう。
今はそれしかできない。

仕事の打ち合わせに向かう電車の中で、そんなことを考えていた。

いけない、このあとの打ち合わせのことに集中しなければならないのに。
何しろ、お店の内装から置く商品、何から何までこだわった自分のブランドを持てるチャンスなのだ。

『まもなく、六ツ箸、六ツ橋ですー。
お降りの方は、お声をかけていただき、速やかにお降り下さいー』

車内アナウンスに、ハッとした。
降りる駅、ここじゃん!

「すみません、降りますー!」

なんとか降りられた。

このご時世だ。

洋服屋をショッピングモール、ましてや百貨店にテナントとして出しても、売れない。
人気のあるブランドなら顧客は来るが、ぽっと出のブランドを出しても、最初は物珍しさで客はくるだろうが、それも長くは続かない。

流行の移り変わりが速い時代だということはつまり、消費者の飽きが来るのも速い、ということだ。

そんなことを考えながら、ホームを歩く。

すると、誰かにドン、とぶつかった。
ちょっと派手目なチャラいお兄ちゃんだ。

「あ、すみません……」

謝罪をして、通り過ぎようとする。

「すみませんじゃねぇよ、どこ見て歩いてんだコラァ!
危ねえだろオイ!」

「すみません、次は気をつけますから……」

「すみませんで済んだら警察は要らねぇんだ。
あ?姉ちゃん、よく見たら可愛い顔してんじゃん。
俺とちょっと遊んでいこうぜ?」

「あの、これから仕事なんで……」

カバンで顔を隠す。
顔を見られないようにするのもあるが、しかし重要な目的がある。
昨日、小型ビデオカメラを旦那である徹が渡してくれたのだ。
彼が作ったものらしい。

いつの間にこんなものを。

旦那がくれたそれは、カバンについているタグに仕込んである。
この小型ビデオカメラで撮影された映像は、エージェントルーム全員が持っている端末に自動的に送られるようになっている。

もちろん、康一郎の目にも入っているはずだ。

「離してやりなよ。
嫌がってるじゃん!
嫌がってるのがわからないなんて、アンタの目こそ腐ってるんじゃないの?」

どこからともなく、威勢のいい声が聞こえてきた。
私を庇うように、目の前に立ったのは私より身長は少し低い女性。
髪は後ろで束ねてあり、オープントゥーの白いサンダルにネイビーの膝丈スカート、胸元の空きが広いイエローのブラウスを着ていた。

「言ったなコノヤロー!」

「危ない、です……」

私がか細い声でそう言ったが、どこ吹く風だった。
その女性はなんなく掴みかかってきた男の肘を逆に掴み、そのまま地面に抑え込んだ。

……全然武術には縁がないが、合気道か。

「アタシ、教師目指すときにいろいろ、今後のために、って習ったの。
ま、今は教師じゃないけど。
私に会ったのが運の尽きね。

あ、駅員さんだ。
こっちです、この人ですー!」

駆け寄ってきた駅員さんに、その女の人はペコペコとは頭を下げていた。

床にうつ伏せに伸びている男の人と、なんなく合気道で倒した女の人を、交互に見比べる。

すごいなぁ。

「この人、よく乗客と揉め事起こして困ってたんですよ。
事情は後日、聞かせてもらいます。
お仕事お気をつけて。」

あ、お礼を言わないと!

「すみません、助かりました。」

「いいえ、どういたしまして。
どちらに?」

「セントラルビルの6階に用事があるんです。
改札を出たところから直結してる、あの大きなビル」

「別の打ち合わせから次の打ち合わせのために帰社したときにさっきの騒動見かけて。
そこの社員なんで、一緒に行きましょう。」

「ええ、ありがとうございます。」

社員とたまたま会えるなんて、ついている。

ビルに入ると、来館者用のゲストカードを受付に貸してもらった。
私をこのビルまで連れてきた人の首には、『柊 志穂』という社員証が下げられている。

あれ、この人、もしかしなくても、さっきお兄ちゃんが言ってた、お兄ちゃんがまだ好きな人!?
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