唐女伝説
 初冬の風が吹き荒ぶ向津具の海岸を、小助はいつものように歩んでいる。あれから二月が過ぎようとしている。小助はその後平和だが、味気ない日々に戻っていた。ただ、上京する前に手に入れたピカピカの剣だけが、往事をふと思い起こさせるのみの日常であった。
 そんな或る夜、道山の使いの者と称する小坊主が、小助の家の戸を叩き、愕然とするような事を伝えた。道山の長文の手紙には、何と道鏡が約束を反故にして楊貴妃を自宅に囲って愛人にしている、と記してあったのである。道山は何度も道鏡に会って楊貴妃を藤原仲麻呂に会わすか、さもなくば返して欲しい、と懇願したが、道鏡は、
「人の恋路を邪魔するな」
 と突っぱね、今では面会さえ拒んでいる状態である、と道山は呆れ果てた様な文体で綴っていた。
「何ということだ」
 小助の脳裡に道鏡の、あの厳然たる雄姿が、悪魔の化身の様に蘇っている。救けを呼ぶ楊貴妃の甘美で悲痛な姿態が目に浮かぶ。
(許せん!あの色魔坊主め)
 小助の全身は怒髪冠を衝く、といった風で、小坊主が恐悸してしまった位、その形相は凄まじかった。
 小助はその夜は小坊主の道念を自宅に泊めてやり、翌日、
「儂は支度が出来次第、直様都に上る。必ず、命に代えても、楊貴妃様を取り戻す」
 と認めた返書を道念に持たせて、都に帰らせた。そして十日後、小助は家財道具と家を処分して路銀を搾り出し、剣の柄をしっかりと握りしめ、
「楊貴妃様を取り戻し、御心を安んじたてまつる迄は帰らん」
 と両親に誓約し、東征の途についたのだった。
 小助が非常の決意を秘めて、再び平城京の土を踏んだのは、師走の肌寒い、木枯らしの舞う曇天の日だった。午後になって一層底冷えとなり、今にも雪になりそうな都大路に、眼光鋭い別人の如き小助の勇姿がある。小助は早速東大寺の門を叩き、道山から状況説明を直に受けた。
 道山は痛烈に道鏡を誹謗し、
「あんな非道のくそ坊主だとは思わなかった。儂に人を見る目がなかった。この通り謝る」
 と小助に詫びを入れた。小助は謝られても仕様がない、と一言で片付けると、
「問題は、どうやって楊貴妃様を取り戻すかだ」
 と少し声を荒げた。
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