唐女伝説
 一行はその儘西行していき、対馬から新羅へ渡り、唐に入った。天平宝字七年のことだった。安史の乱は漸く治まったばかりで、玄宗は前年に亡くなっていた。皇帝は玄宗の次の次の代宗が前年に帝位に就いており、楊貴妃の帰るべき皇室は一変、楊貴妃は長安に近付くにつれて、帰京する熱意を失っていった。
 楊貴妃は四十五になっており、平城京での監禁生活で衰弱した体躯は、玄宗の死を知ったショックに耐えきることができず、到頭洛陽の街で、楊貴妃は動けなくなってしまった。
 洛陽の場末の宿屋で唐の医者は、
「最早助からない」
 と匙を投げ、楊貴妃は七年振りの長安を目前にして、病床に臥してしまったのである。
(もう後少しなのに)
 此処まで命懸けで楊貴妃を連れてきた小助達の無念さは、口では言い表せない程だ。かといってもう楊貴妃は歩けないし、運べもしない。致し方なく道山と辰が長安に入り、代宗皇帝に楊貴妃が洛陽迄来ている事を直訴しようと、二人で旅立っていき、小助と太郎は洛陽に残り、絶望的な看病に専念することとなった。
 時に師走であった。楊貴妃は頻りに寒がり、食欲は全くなく、あれ程美好だった手足は骨がましい、血管丸見えのくすんだものに変わり果ててしまった。小助は二十四時間楊貴妃の枕頭で看取り、太郎が食料と銭を仕入れた。
 大晦日の夜、楊貴妃の荒い吐息がふと止んだ。
「楊貴妃様!」
 その時楊貴妃の側には小助しかいなかった。楊貴妃は瞼を開け、潤んだ眼目で小助を見つめた。
「水、水が」
 聞き取れぬ程の小声であったが、小助は即座に階下へ行き、医者を呼ぶよう宿の者に要求すると共に、水を一碗貰ってきた。
「楊貴妃様、水です」
 小助は楊貴妃の上半身を抱きかかえると、その品のよい唇に茶碗の中の水をそっと注いだ。
「ああ、美味しい」
 楊貴妃は伏し目がちに、柔らかな物腰で、吐露するように詠嘆した。
「もう一杯」
 小助が碗を傾けようとすると、楊貴妃は口を開かず、辞退した。小助は片言ながら、唐土の言葉を話せるようになっている。
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