唐女伝説
 楊貴妃は小助を凝視し、何かを発言しようとしている。
「もうすぐ医者が来ます。ご辛抱を」
 楊貴妃は笑顔になり、その万人を魅了した星の様な眸子を永久に閉じた。輝煌していたか細い手の平の熱情が徐々に失せていく。小助は彼の後半生を支配した女神の臨終に、ただただその麗色を眺臨するのみだった。
(さようなら)
 小助の眸には、天女が天空に帰していく麗容がはっきりと透視できていた。

 長安に向かった道山と辰は、先ず藤原清河を訪ねたが、彼は既に逝去していた。道山はこうなれば直接宮廷に訴願しようとしたが、不審人物扱いされ、取りあってもらえなかった。途方に暮れている内に太郎がやって来て、楊貴妃が病死したことが伝えられた。
「全ては終わった。日本に帰ろう」
 四人は落胆、意気消沈して帰国することになった。            
 小助達は楊貴妃の遺体を洛陽近郊の雑木林の中に埋葬、小さな墓標を造営し、薄幸の麗人の数奇な生涯を悼んだのである。
「宇内の誰も、こんな寂しい所に楊貴妃様が眠っていようとは思うまい」
 お経を唱え終えた道山が侘びしそうにごちた。辺りには何もない。墓標には、
「楊玉環之墓」
 と大書されている。四人は立ち去りがたく、楊貴妃の挿話等に耽っていたが、日も傾きかけた頃、そっと立ち去っていった。広大な中国大陸の風の中に。

 日本では、道鏡が政敵恵美押勝こと藤原仲麻呂を滅ぼし、重祚した称徳女帝の寵愛を一身に受けて大臣禅師、太政大臣禅師と昇進していき、天平神護二年には、法王となって、天下の政道を欲しいままにしていた。
 道山達は各人変名を用い、長門には帰らず対馬で共同生活をしていた。密かに辰を向津具に派遣し様子を探らせたところ、小助の両親は捕らえられ、平城京迄連行されて獄中死し、家は廃屋同然になっていた。兄弟は楊貴妃と両親の復讐を誓い、その好機を待ったが、道鏡の権勢は止まるところを知らず、天下人たる道鏡の豪邸は二重三重に警護され、道鏡誅殺など夢のまた夢の様に思われた。
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