剣と日輪
花ざかりの森編落花
 世界中が戦火に覆われていた昭和二十年二月。ここ兵庫県富合村の片田舎でも赤紙で召集された陛下の赤子(せきし)が、入隊検査を受けるべく連隊の検査場に集結している。辺り一面薄の原っぱで、寒寒とした台地上にぽつねんと建つ高岡厩舎(きゅうしゃ)に閉じ込められた漢(おとこ)達は、厳冬(げんとう)にも関わらず丸裸にされ、検査の順番を待っている。
 兵役検査を潜り抜けて来ただけに、屈強そうな体格が目立っていたが、仔細に見渡すとそうでもない成人も紛れこんでいた。平時ならば参陣不可の烙印(らくいん)を押されている脆弱な男児も、敗色濃厚な時勢下では、兵力不足を補うべく兵員に組み込まれて行くのである。
 東京から態態(わざわざ)兵庫県迄受検に来ている、青白い痩身の小柄な坊主頭の男性は一際目を引いた。今にも倒れそうな姿態なのである。青年の名は平岡公(きみ)威(たけ)といい、東京帝国大学法学部法律学科の一回生である。
 公威の祖父が連隊近辺の志方村の出身で、明治・大正時代福島県知事、樺太庁長官を歴任した郷土の著名人であった。公威の父も嘗て農林省水産局長という要職に就いていた。公威の父梓(あずさ)は、出来のいい長子である公威を兵役にとられたくなかった。そこで、
「田舎の逞しい青年達に混じって徴兵検査を受けさせれば倅のみすぼらしい肢体(したい)も目立ち、兵役不適格となること間違いない」
 と案じて、昨年五月学習院高等科三年生だった公威に、本籍地である兵庫県印南郡志方村で徴兵検査を受検させたのだった。
 公威は米俵一つ抱えられない微弱な細腕だったのに、
「第ニ乙種合格」
 という思いがけない査定であった。合格者には三ランクあり、上から甲種、第一乙種、第二乙種となっている。


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