剣と日輪
 第二乙種は平(へい)昔(せき)なら徴集されなかった。現在は有史以来の国難の時節であり、公威には召集令状が配達されたのである。梓の計は当てが外れた観があった。
 公威は一月より、群馬県新田郡太田町にある中島飛行機製作所小泉工場に勤労動員されていた。職種は事務で、東矢島寮十一寮というバラック小屋で寮生活をしていた。ここで風邪をひいたまま、二月四日に東京都渋谷区に帰郷し、翌晩召集令状の電報を受理したのである。
 東京の居宅を梓と発った二月六日も、風邪気味だった。東京から志方迄の長旅で疲労が募り、祖父定太郎の代から親密な付き合いをしている志方の好田光伊宅で靴を脱いだ時分には発熱していた。直ちに医者が呼ばれる始末であった。公威は胸部に湿布を当てたまま臥所で静養し、二月十日の今日を迎えたのである。体温は依然として高温だった。
 公威は突っ立っている内に咳込んできて、くしゃみを頻発した。気だるく、若い軍医に診てもらった時は、恰も労咳患者の体をなしていたのである。軍医は公威が苦しげに吐息する度に放つ異常音をラッセル音と誤認し、公威が提出した出鱈目な病状報告と照合して肺浸潤の疑いを持った。直様血沈が測定された。公威は肺結核ではなかったが、高熱が公威の身体を蝕んでおり、高い血沈の値が検出されたのである。肺病患者を入営させられない。
 公威は肺浸潤(軍隊用語では胸膜炎)と診断され、
「直ちに帰郷するように」
 と言い渡されたのである。
 公威は軍医の診立てに半信半疑であったが、学生服を着用して梓の許に行き、
「胸膜炎なので、即刻帰郷するようにと軍医殿に言われました」
 と息苦しそうに伝えた。
「本当か」
 梓は丸縁眼鏡がずり落ちそうになる程内心欣喜雀々となったが、公威の健康を気遣う親の渋面を作ってみせた。
 公威は首肯した。
「疑うなら、自分で確かめたら」
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