剣と日輪
「別に不真面目に企業を受けている訳ではなく、成績が悪いから不合格になるだけです」
 梓の傍らで、お節介な虚言(きょげん)を鵜呑(うの)みにしている風の士(し)君子(くんし)達に、そう本音を白状したくなる衝動をセルフコントロールしつつ、公威の就職活動の日月(じつげつ)は長引いていった。
 その間十一月二十日には、二冊目の短編集、
「岬にての物語」
 が桜井書店より価格五十円で出版された。本書には表題作の他、
「中世」
「軽王子と衣通姫」
 が収められた。
 そして公威は十一月二十八日、東京大学法学部法律学科を卒業した。梓は勤め先の定まらない公威に、
「高文に受からなきゃ、馬鹿だぞ。必ず受かれ。不合格なら勘当だ」
 と迄極言し、口頭試問の迫った公威の尻を叩いた。
 公威も、
(このままでは、浪人になってしまう)
 と危機感に煽られて発奮し、十二月六日の口頭試問を切り抜け、師走の十三日に上位合格の栄冠を勝ち取ったのである。公威は喜慶この上ない有様である梓の願意を受け止めて、エリート中のエリートが入る大蔵省を希冀(きき)した。クリスマスイブに公威は大蔵事務官に任命され、銀行局国民貯蓄課に勤務する段取りとなったのだった。
 当時大蔵省は、四谷駅前の小学校に臨時庁舎を設けていた。仮庁舎はコンクリート建であったが、公威が配属された銀行局は、木造校舎の一階にあった。日照時間は午前の一時間のみ、という最悪の職場である。公威は、
(こんな所に、日本の中枢機関があっていいのか)
 と母国の未来を憂慮した。同期入省の二十六人全員が恐らく、大蔵省のイメージと粗(そ)造(ぞう)な役所のギャップに恐惑(きょうわく)したであろう。
(ここまで落ちた日本を、我々が復興せねばならない)
 官吏の雛(ひな)達は、そう肝(きも)に銘(めい)じたに違いなかった。
 昼時、矢代が新人の公威を冷やかしてやろうと大蔵省の門を潜った。暮(ぼ)愁(しゅう)然たる木造校舎の一階に在る、電光が幽(かす)かに注いでいる室内の奥蔵(おうぞう)の自席で、背筋を伸ばして、黙々とアルミの弁当箱をつついている公威がいる。
(何と物悲しき食事風景哉(かな))
 矢代は、
「ものの哀れ」
 に痛撃され、監獄の如き舎内に踏み込む氤氳(いんうん)が萎えてしまった。
(頑張れよ)
< 105 / 444 >

この作品をシェア

pagetop