剣と日輪
「放埓(ほうらつ)の果ての逃避行」
 としか慨(がい)息(そく)できなかった。
(あんな心中(しんじゅう)は、愧(は)ずべきもの以外の何ものでもない)
 公威は飽く迄も太宰的美(び)意(い)を非議(ひぎ)し、太宰を反面教師と模したのである。
 
 酷暑が盛んな葉月の夕くん下、達者な足取りのスマートな士人(しじん)が、日本橋茅場町に建つ木舎の二階に居た。梓である。梓は公威の怱忙(そうぼう)振りを見かねて、
(このままでは息子は、過労で死んでしまう。文学か官吏か、どちらかを選択させねばならない時期に来ている)
 と憂悴(ゆうすい)している。
 先日は母校東京帝大の学友嘉治隆一朝日新聞出版局長に、公威の身の上を懇談していた。公威の著作を進呈された嘉治は、数行黙読し、公威の経歴を聴いただけで、
「心配ないさ、君の息子さんだ。十分やっていけるさ。川端康成さんも認めているなら、安心じゃないか」
 と梓を鼓舞(こぶ)してくれた。
「そうかな」
 梓は心力(しんりょく)を擽(くすぐ)られたが、矢張りジャーナリストの高評(こうひょう)だけでは心許無(こころもとな)く、
「人間」
 編集長の評言(ひょうげん)を確かめに、やって来たのである。
 梓は木村と名刺交換をするや、単刀直入(たんとうちょくにゅう)に切り出した。
「公威の文章が上手(うま)いのは、私も父親ですから、知っています。併し公威の文才で、本当に作家になれるんでしょうか。若し、貴方方が丁度(ちょうど)半玉(はんぎょく)を贔屓(ひいき)するような気持ちで、公威を扱っていらっしゃるのなら、公威が可哀相だ。倅は役人と文筆業の二束(にそく)の草鞋(わらじ)に、圧殺(あっさつ)されかかっているんです。倅を死なせない為には、二者択一(にしゃたくいつ)をするしかない。一体公威は役人を辞めて、筆一本で食っていけるんでしょうか。大新聞に連載小説を書けるような身分に、なれるでしょうか。忌憚(きたん)の無い意見を伺わせてください」

< 108 / 444 >

この作品をシェア

pagetop