剣と日輪
 梓はテーブルに、両手を着いた。木村は梓の老婆(ろうば)心(しん)に、真意(しんい)で応じる義務感を抱かずにおれない。先ずお茶を勧めると、口を緑茶で漱(すす)いだ。
「平岡さんの言われる、ヒット作に恵まれる流行作家にお子さんがなれるか否かは、私には分かりません。恐らく、誰にも判らないでしょう。高名な作家の作品でも売れるとは限らないし、貧乏をしておられる一流の小説家の方もいます。ただ、私が今断言できるとすれば唯一つ、息子さんの文才は本物です。一本立ちできる力量(りきりょう)をお持ちになっています」
「そうですか。では、御社としては、公威を一人前に扱われているのですね?」
「言うまでもありません」
「いや、有り難う御座います。これからも倅を宜しくお願いいたします」
 梓は迷罔(めいもう)から抜け出した様な、肩息(けんそく)をついた。
「こちらこそ。これからも御子息とは、末永いお付合いをさせていただこうと思っております。宜しくお願いします」
 梓は来社時とは正反対の色相(しきそう)で、社屋(しゃおく)を辞したのである。

 蝉(せみ)の鳴声が幾分柔和になった、八月二十八日土曜日。公威は終業時刻のハイヌーンを、待ち焦がれていた。十一時五十分に、来客があった。河出書房の坂本一(かず)亀(き)である。坂本は福岡県甘木の出身で、二十六歳だった。ミュージシャン坂本龍一の父君(ふくん)である。
 公威は陽だまりとは無縁の自席に、坂本を招じ入れた。坂本はやや声のトーンを下げ、
「本日は、書下ろし長編を執筆していただきたく、伺いました」
 と礼貌(れいぼう)を向けた。じっと公威の応感を、てんけいしている。
「いいですよ」
 公威は速答した。
「私は貴方の仕事に、全身全霊で望む」

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