剣と日輪
「この島こそ、新作潮騒(しおさい)の舞台だ。ここしかない」
 公威は溢喜(いっき)して、神島を出港したのである。
 公威は東帰途上の津に途中下車し、大蔵省の同期で、昭和二十七年より三重県に出向している長岡實と会食した。
 長岡家と平岡家には、浅からぬ縁(えにし)がある。父親が一高時代の先輩後輩で、二年上の梓が農林省、長岡の父爺(ふや)が逓信(ていしん)省に入省し、交友していたのである。
 又故美津子、千之と長岡の二人の弟が小学校の同窓生であり、生家も公威は四谷、長岡は市谷という近所であった。年は長岡が一つ上であるが、同一学年である。
 長岡は後に大蔵事務次官まで上り詰め、日本たばこ産業株式会社の初代社長、国家公安委員等を歴任(れきにん)する。
 公威が丸顔で取っ付き易い長岡に近付いたのは、
「青の時代」
 という小説の取材活動の一環(いっかん)としてである。退職間際にも公威は長岡に
「省を辞めたい」
 と談じた事もある。
 両者が真の知己(ちき)となったのは長岡が、
「青の時代」
 の主人公川崎誠のモデルである、光クラブ社長の東大生山崎晃嗣と、一高の寮で同じ釜の飯を食った隣室同士だったからである。
 公威は寮を体験したことがなく、
「寮生活とは、どんなものか。法律に触れ、多額の負債を返済できずに自裁(じさい)した学生社長山崎とは、どのような男だったのか」

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