剣と日輪
 玉利は、健康的な歯茎(はぐき)を露(あらわ)にした。左右の胸板が、白いワイシャツの下で、踊躍(ようやく)している。 
「どうです?マッスルコントロールというんですよ。楽しいでしょう」
 公威は左右交互にぴくつく筋膂(きんりょ)のダンスに、
「俺もやってみたい」
 と危うく叫ぶところであった。
「是非貴方の指導を、仰ぎたい」
 公威は年少の大学生に入門し、
「心と体を変革(へんかく)する」
 という目算(もくさん)に着手(ちゃくしゅ)したのだった。
 公威は十五キロから八十キロに及ぶバーベルを買い揃えた。九月十六日金曜より、週三回のトレーニングが平岡家で開始された。一六三センチしかない公威が、魁士(かいし)への道を登り出したのである。
 公威の自己改革を、知友(ちゆう)は嘲笑(あざわら)った。
「一月で音(ね)を上げるさ。時間と金の浪費だよ」
 と銀座生まれで早大中退、俳優座の劇作家になっているる矢代などは辛辣(しんらつ)だった。公威は大真面目である。
 筋トレが始動(しどう)した出端(でばな)には、牛乳や米国製粉状(ふんじょう)高蛋白質(こうたんぱくしつ)を多量に摂取(せっしゅ)して体調を崩したり、扁桃腺(へんとうせん)の腫(は)れ、原因不明の熱等に悩まされた。公威は三十路(みそじ)を過ぎてボディビルを習う辛苦(しんく)を嘗(な)めたが、何とか克服(こくふく)していった。そして四ヶ月目には、公威の洗濯板(せんたくいた)みたいだった胸囲は、見違える程逞(たくま)しく盛り上ったのである。
 公威は風呂上りに、鏡に向ってポーズをとってみた。筋力のうねりが、体表(たいひょう)にある。玉利の磨き込まれた筋(きん)骸(がい)には及ばないが、
「男性美」
 の端緒(たんしょ)が体得(たいとく)できる。
(英雄の胎動)
< 142 / 444 >

この作品をシェア

pagetop