剣と日輪
「こちらが、作家の三島由紀夫さんです」
 モーニング姿の公威も、邦子も、偶会(ぐうかい)に目(もく)笑(しょう)している。ときめきは無い。ただ往時(おうじ)の点景(てんけい)だけが、胸奥(きょうおう)を掠(かす)めた。仲介役はそのまま立ち去った。
「御噂(おうわさ)は何時も聞いてるわ。平岡さんの本、仮面の告白、読んだわ」
「そう。あれでよかった?」
「園子なのよね、私は」
「うん」
 シャンパングラスを傾け合いながら、男女の話(わ)言(げん)は、空々(そらぞら)しくもからりと翳(かげ)っていた。
「旦那さんの転勤で?」
「そうなの。昨年から」
「幸せそうだね」
「ええ」
 邦子は、
「子は鎹(かすがい)って言うけど本当ね。子供の為なら何でも出来る。耐えられる」
 と真顔である。
「平岡さんは、結婚は」
「未だ。忙しくて」
「お仕事で?」
「うん」
「今度三島さんの作品が、ブロードウエイで公演される、ていうもっぱらの噂ですよ」
 海外特派員の公言(こうげん)に、公威は哂笑(しんしょう)した。実は芝居のビジネスが、蹉跌(さてつ)しかかっていたのである。抵触(ていしょく)されたくない話談(わだん)であった。場はざわめいて、
「三島さんの作品が、ニューヨークで観れるなんて感激だ」
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