剣と日輪
「成る程」
 山本一佐は合点がいった。
(あそこには、三輪元防衛事務次官も関与している)
 山本一佐は過激化の一途を辿る公威が、
(より危険性の少ないセキュリティガードと提携することになれば)
 と大賛意を示した。一安堵せずにおれない。
 山本一佐は乗り気になり、隊員達に、
「警備保障会社との連携」
 を大いに奨励する訓示を垂れたりした。
 気をよくした公威は更に、
「実戦の腕を磨くには、実弾の射撃訓練が必要不可欠ではないか。私は陸上自衛隊、更には在日米軍の協力を得て是非ともこれを実現したい。一つ骨を折ってもらえませんでしょうか」
 と切り出してきた。
「それは」
 山本一佐は一呼吸置いた。七年前の三無事件を、思い出していたのである。
 三無事件とは昭和三十六年十二月二十一日に発覚した、クーデター未遂事件である。昭和三十七年一月が決行期日と定められ、池田内閣の閣僚等を、国会に乱入して殺害しようと計画したものである。首謀者である元川南工業社長川南豊作、元陸軍士官学校六期生小一臣、五・一五事件の被告元海軍中尉三上卓、行動隊長として参画した池口恵觀らは、クーデターを完遂すべく、自衛隊に協力を要請したのだった。彼らが掲げたクーデターのスローガンは、無戦争、無税、無失業の三つの無であった。具体的政策は全く提示されなかった。武器も、数丁のガン、数本の刀剣にすぎなかった。
 事件当時は安保闘争を経て、共産主義・無政府主義勢力は肥大化する一方であった。共産主義革命が引起されるのではないかと懸念した彼等は、その予防の前衛となるべく政変を画策したのである。
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