剣と日輪
(学生のくせに生意気だ。文学をビジネスと心得ている。末恐ろしい奴)
 というのが野田の公威観となった。野田は、
「私は編集者であり、出版屋じゃないので」
 と、公威の持込を辞謝してしまった。
 年が明けて昭和二十年となった。元旦早々皇都上空をアメリカ軍の偵察飛行機が悠々と飛びまわり、空襲警報のけたたましい音響下に東京人は新年を迎えた。国土の制空権は米軍に奪取されており、帝国臣民は鬼畜米空軍が雨霰とばら撒いていく焼夷弾の餌食となっている。
 都市部の市民は田舎に疎開し、東条内閣は昨年倒壊、
「パールハーバーアタック」
 を敢行した軍神山本五十六元帥も二年前に戦死している。神国の敗勢は、隠し様が無い。日本人の悲壮感は、去年十月神風特別攻撃隊の初出撃によって体現化され、小磯政権は、
「一億火の玉」
「本土決戦」
 といったスローガンを喧伝している。
 公威も、
(これが最後の正月だろう)
 と知覚していた。
(この家も、父母兄弟も、何れ全ては灰燼(かいじん)に帰す。花ざかりの森だけが残るのだ)
 五人家族で雑煮を平らげながら、公威は十八歳の聖心女子学院一年の妹美津子と十六歳の中学生千之に、憐憫(れんびん)の情を覚えていた。
 公威は少々下顎がしゃくれており、上唇と下唇が微妙にずれて、噛み合わせが余りよくない。ぽろっと具の鶏肉の一分(いちぶ)を畳の上に落っことした。
「あら、お兄ちゃま落ちたわよ」
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