剣と日輪
 三谷夫人が思案していると、
「軽井沢の親戚に相談してみようか」
 三谷の祖母が提唱した。
「それがいい」
 と三谷が応和(おうわ)した。祖母は備忘録(びぼうろく)を取出し、シャーペンで筆記した。

 帰路の車内は、沈滞ムードだった。下りでは独宴会を催していた大庭も、疲労しているのか、午睡(ごすい)に余念がない。一行は逢魔(おうま)の刻限に、大宮駅で省線電車に乗換えた。駅の高架橋は避難民達で溢れかえっている。
「どうだい、こりゃ」
 大庭は瞠目(どうもく)し、祖母は、
「震災の時のよう」
 と独白している。公威達の周回は焼出された難民の群である。被災者は薄汚い毛布で寒冷をしのいでいた。災厄(さいやく)から辛うじて脱出できた民(たみ)草(くさ)からは、
「この世の終わり」
 を体現化した独特のきな臭さが漂っている。最早動かぬ乳呑児(ちのみご)を、膝の上で揺さ振る哀れな母、魚眼(ぎょがん)然たる目睛(もくせい)でほっつき歩いている民、血痕が生々しい負傷者等々大日本帝国の斜陽(しゃよう)の実情を、公威は目の当りにしている。
 罹災者(りさいしゃ)は盲人(もうじん)みたく、公威達を視野の外に置いていた。公威等は、荒波を前進する汽船のクルーと化していた。
(俺達も、やがてこうなるのか)
 公威は内面でそう詼嘲(かいちょう)していた。そして本能の命じるままに邦子のウエストを掌中に収め、二人だけで駅舎内を突進して行く。邦子は憂色のまま、公威に付従(つきしたが)っていた。
 環状線の電車内の乗客は、大方が昨夜の東京大空襲の生存者だった。人民は無傷の公威達を黙殺し、
「如何にして生き残ったか」
 を自慢しあって、口々に政府の無能を罵倒した。
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