剣と日輪
 邦子の伯母に引き合わされると、公威はやや甲高い声で名乗りをあげた。
「東京帝国大学法学部一回生、平岡公威と申します。現在、神奈川県高座郡にある海軍工廠に勤務しております」
 男らしく堂々とした所作である。邦子の伯母は、
「邦子の伯母です。貴方の事は邦子の母や祖母からも、本人姉妹からも聞いてますよ。宜しくね」
 と高尚な笑みを浮かべた。
「はい。ホテルも色々邦子さんに当たって貰ったんですが、皆官庁の出店や、ドイツ人の軟禁場所になっており、駄目でした。数日間お世話になります」
 青々と剃りあげた頭部を晒し、公威は伯母に好印象を付与(ふよ)しようとしていた。客間に居並ぶ邦子の親類縁者の、もやしっ子みたいな公威に向けられた注視が、
(何だ。この青っ白い学生は)
 と軽侮(けいぶ)している。
(侍の様に振舞わねばならぬ)
 公威は外見の不利を払拭(ふっしょく)せんと、きびきびと立ち回った。邦子の妹には威厳を以って接し、英語を厳しく教えた。伯母のベルリン赴任中の昔話には、最大限の愛想を振り撒いて巧みに応答して見せた。
 けれどもディナーの会席では、テーブルの下で邦子と足をタッチし合い、半月形の襟元(えりもと)から覗くほんのりと膨らんだ胸部にエロスを嗅いだ。邦子は、スリムなボディから色沢(しきたく)を放っていた。公威は麗(れい)艶(えん)な時空の囚人となり、邦子のリクエストに躯(く)幹(かん)をマッチさせた。邦子の希求と公威の求索(きゅうさく)は合致し、互助の谷間に男と女は滑降(かっこう)して行く。軽井沢の時計は竜宮城と同じで、世の嵐の法外を刻む。
 愛しき旬日(しゅんじつ)は弾丸の如く過ぎ去る。公威が気がつけば、滞在日数は二日を残すばかりとなっていた。
 雨(う)霧(む)が木々を濡らす。公威は小さな郵便局屋内に、黙していた。辺りは昼下がりの俯きの只中にある。借用した自転車が容赦無く露に塗れた。金髪のゲルマンの御子(みこ)が、ペダルを漕いで道を横切る。レトロな局舎内から、公威は敗戦間近の掛替(かけが)えの無い風情(ふぜい)を哀惜(あいせき)していた。   
 ふと雲(うん)影(えい)が切れた。一筋の光線が、邦子を運んできた。邦子は公威とデートを約束し、日(にち)午(ご)から一刻(いっとき)休みを取ったのである。

< 65 / 444 >

この作品をシェア

pagetop