剣と日輪
 公威も、GHQの思想弾圧の余波を食った一人と言えた。
 公威は、
「デモクラシー」
 という名の侵伐(しんばつ)の烈(れっ)風下(ぷうか)を駆抜けるべく、一月十四日川端康成宛に、訪問の可否を問う書簡を出した。
 川端は昨年四月に、貸本屋を久米正雄と発案し、高見順、中山義秀らの合力を得て発足させていた。店は鎌倉の八幡通りにあった鈴木玩具店を借りたもので、間口二間半、奥行き二間半の土間しかない。
 五月一日の開店後、製紙会社の資金協力を得て、
「鎌倉文庫」
 が立ち上げられた。
 鎌倉文庫は日本橋白木屋百貨店の二階に貸本店を構え、出版も手懸けた。十二月に、
「人間」
 を創刊したばかりであった。
 川端は自分が発起人(ほっきにん)であったにも関らず、鎌倉文庫の顧問という肩書である。川端は進んで店番をし、帳面の遣り繰り等もした。川端は読者と直に接する貴重な機会を得て、仕事を愉(たの)しんでいたという。
 一月二十七日、公威は鎌倉大塔宮裏にあった川端の居宅に足を運んだ。鎌倉駅からは歩行も軽やかだった。公威は鎌倉という古都を好いている。
 川端は、気さくで親しみ易い体質の文豪であろう。気難しく理屈っぽい、社会主義的知識人ではあるまい、という人物評が、公威の肩を解(ほぐ)していた。公威は人見知りする性向があったが、川端との初顔合せには微塵(みじん)も心痛の種が無い。丸で父母と会合するような、滑(なめ)らかな居心地を感荷(かんか)してしまう。
 鶴岡八幡宮前を左折し、坂を下った所に人だかりのしている一軒家がある。
「川端康成」
 の表札がかかっていた。
 門を抜けると、人頭に蔽われた屋内から、ざわめきがする。
(訪ねても大丈夫だろうか)
 公威が玄関先に立往生(たちおうじょう)していると、ゴム長靴を履いた年配者が中より出てきた。
「お客さんですよ」
 温和な魚屋風の四十男が呼ばわると、川端夫人が着物姿で奥から姿を見せた。
「東京帝国大学二回生、平岡公威と申します」
 公威はネームカードを差出した。
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