マリッジリング
「大体カツオって名前でリーマンの息子なんて掃いて捨てるほどいるっつーの」

 ぶつくさ独りでぼやきながら職場へ足を進める。
 歩く度にパンプスは鋭い音を立てる。そのカッカッ、という音をに合わせて「迷惑」「ろくでなし」「役立たず」とカツオへの文句とも評価とも言えない言葉が頭に浮かぶ。

 でもどうして私はカツオを疎ましく思うのに別れないでいられるんだろう。

 カッカッの音に合わせながら浮かぶ言葉の裏で、小さな疑問が頭をもたげる。そもそも付き合う時だって「あんなの酒の席での戯言でしょう」と拒むことも出来たし、転がり込んできた時だって、今だって、追い出そうと思えばいつでも放り出せる筈だ。あの場所ふさぎなテレビゲームごと。

 カッカッ。耳から入る音。モヤモヤ。のしかかる疑問。その二つに意識が支配され、答えが出そうになった時、

「花沢さん、おはよう」

 勤め先の店長に声をかけられ、意識が外界に拡散する。

「おはようございます」

 眼鏡美人、という言葉がしっくりくるその人に挨拶を返し、私は職場のドアに足を向けた。声を掛けられなかったらうっかりどこまでも歩いて行くところだったわ。危ない危ない。そう言えば昨日のお客さんの事、店長に伝えなくちゃ。
「店長、昨日受けた注文なんですが…」
 スイッチが切り替わるように私の頭は仕事一色になる。ヴン、と鈍い音を立てて自動ドアが開き、店の中に足を進め、柔らかな絨毯がパンプスの音を吸収た時、モヤモヤとした疑問もそれ以上追求される術を失った。
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