アリスズc
∠
「追いつかれないものだな」

 テルは、微かに後方を振り返っていた。

 出発のずれは、たった半日。

 その半日というものは、わずかなアクシデントひとつで、楽に追いつけるようなものだ。

 いまのところ、テルの旅路は順調ではあったが、さして急いでいるわけでもない。

 追いつかれることがあったとしても、おかしくはなかった。

「ああ…あちらは、文官役が私よりひ弱そうでしたからね」

 ヤイクは、またも気軽に言葉に毒を混ぜた。

 肉体的な弱さの話をしてはいるのだろうが、能力的な弱さの話も匂ってくるのだ。

 ハレは、並みいる貴族の取り巻きの中から、学術肌の男を選んだ。

 目は確かな兄に選ばれたのだから、何なりと才能のある男なのだろう。

 だが、その才能の方向は、ヤイクが認めるものではなかったようだ。

「ただ…若いですからね、彼らはみんな。追いつかれるかもしれませんね」

 まだ二十代のくせに、ヤイクは肩をそびやかす。

 そして。

 よりにもよって、視線をエンチェルクに流すのだ。

 彼女は、そんな視線の挑発に乗ることもなく、完全に無視している。

 第一。

 エンチェルクは、確かに年は上だが、日々身体を鍛えていたのだ。

 これまで、彼女のせいで旅路が遅れたことなどない。

 それどころか、夜にきっちり休みたがるのは、誰あろうヤイクなのだ。

 ただ、年で一番高いエンチェルクの神経を、逆なでしたかっただけだろう。

 彼は、どうしてこれほど彼女につっかかるのか。

 ウメの側で、二人とも働いていたのだ。

 その間に、ヤイクは彼女を挑発し、エンチェルクは彼を無視するという構図が出来上がったのだろう。

 しかも、その挑発はいつも回りくどい。

 決して、エンチェルクに語りかけることはなく、他のことを話しているようで、彼女につっかかっていくのだ。

 そういえば。

 ふと、テルは思考をある一点で止めた。

 エンチェルクを女性の従者に。

 そう提案してきたのは──ヤイクだった。
< 60 / 580 >

この作品をシェア

pagetop