1970年の亡霊
「確か、喜多島由夫が作った『剣の会』って、自衛隊とかで軍事訓練とかしていた民兵組織ですよね。喜多島は組織の幹部を率いて自衛隊に乗り込み、クーデターを企てた、でも、結果は思うようにならなかった。無念の死を遂げた喜多島の意志が、その後も誰かに受け継がれていたとしたら……」

 喜多島事件のその後、『剣の会』は解散した。

 喜多島の信望者だった当時の若者達の消息は、はっきりと判っていない。

 喜多島由夫と自衛隊。彼の思想。必ずヒントがある筈だと考えた。

 そこで三山は、喜多島の著作だけではなく、事件関連の書物も含めて、喜多島に関する記述が載ったもの全てを読もうとしたのである。

 喜多島由夫が描く文学からは、彼が極端な右翼思想に進むような傾向を読み取れない。

 だが、小説以外の著述では、はっきりとそれを窺い知る事が出来る。

 自ら2.26事件を扱った映画を作った事もあった。彼の最後を暗示する部分として、喜多島は武士道への傾倒がある。それも、生き方としての武士道ではなく、死というものを美に置き換えての武士道であった。

 割腹し、尚且つ自らの首を介錯させた喜多島由夫の真意とはなんであったのか。

 喜多島関連の書物を読み漁りながら、自分には理解出来ない世界だなという感想を、三山は抱いた。

 そういった感想の中で、少し妙だなという感覚にもなった。

 それは、何故自衛隊が喜多島の呼び掛けに決起しなかったのであろうという、素朴な疑問であった。



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