観念世界
「だからそうじゃなくてここは…」

「あなたはいつもどこにいるの?」


 不意に彼女が聞き返した。変わらない表情、変わらない態度で。僕が、いつも、どこにいるのか。

「あたしはここにいるの。いつも。ここでこうしているの。あたしはここにしかいないから」

 台から髪が零れる。血溜りから何本も線を引き、滴り落ちる血液のように。彼女の口から言葉が零れる。粒立った柔らかな光が連なる、真珠のネックレスのように。

「あなたはどう?どこでどうしているの?あなたはいつもどこにいるの?」

「さぁ…どこだろう」

 記憶喪失になったわけじゃない。本当に判らなかったのだ。住所を言うことはできる。国名だって。しかしそれは僕の居る場所を指している記号であるだろうか。そもそもここ以外に「場所」と呼べる空間があるのだろうか。そう思わせるほどここは絶対的な存在感があり、僕がいた場所は存在感がないように思えた。

「ねぇ、あなたはつめたい人?あたたかい人?」

 何も言えずに黙っていると、彼女は寝たまますっと手を伸ばした。白い、細い、指。

「触れてもいい?」

「いいけどなぜか僕達は触れ合えないみたいだよ」

 彼女の手が僕の腕に伸びる。真っ直ぐに、確実に。しかしその手は触れることはなく、するりとすり抜ける。

「ほんと」自分の手を見つめ、僕を見つめる。
「あたしたち、恋人同士じゃなくてよかったわ。相手のぬくもりが伝わらないなんて悲しすぎるもの」

「そうだね」僕は素直にそう答えた。

「あたしたち、絶対に知り合えない。触れられないし、あなたの言うことはあたしにはちんぷんかんぷんだもの」

「僕だってちんぷんかんぷんだよ」

「でもあたしはあなたを知ろうとしている。あなたを知りたくて触れようとしたの…ねぇ、あなたが本当に私に聞きたいことはなに?本当にそうなの?」


 僕が本当に聞きたいこと。

 僕が本当に彼女に聞きたいこと。
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